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Tuesday, March 18, 2014

国境のない世界はありえるだろうか

領土問題に関しては、クリミアより足元の尖閣を見てみなければなるまい。

尖閣諸島がもし無人でなくて、人が住んでいたら、その人が何人であるかによって、どの国に属するかが自動的に決まる。

日本語を話す日本人が住んでいたら、尖閣は日本になる。

中国語を話す中国人なら、「这里是中国」、即ち、「ここ中国あるよ」ということになる。

尖閣諸島が無人なので、問題がややこしくなっている。ただ、無人であっても、所有権は日本人が握っているようなので、日本の領土といって良いのだろう。

歴史を振り返ってみると、ユーラシア大陸とサハラ以北のアフリカ、その周辺の島々、及び、欧州列強が「開拓した新世界」や、近代以降の全世界では、ほとんどの場合、「土地は勝ってぶんどった方のもの」であり、それが「常識」であった。

一九四一年の大西洋憲章の下、まず英米が率先して領土の拡張はもうやめようということになり、二十一世紀になってやっと殺し合いによる領土の奪い合いが目に見えて減っているのだから、世界は少し住みやすくなった、といえるのかもしれない。

ヨーロッパで国境線が薄くなったり、消えたりしているが、世界が欧州化して、政治的な意味での国境はなくなればよいのに、と思う。

Monday, February 10, 2014

Actual Profit and Imaginary Happiness

A thousand cranes in the air are not worth one sparrow in the fist.
--- Arab Saying

This Arabic saying feels to me rather exaggeratedly romantic than the English saying of Latin origin: A bird in the hand is worth two in the bush. But the two birds in the bush, a thousand cranes flying in the sky, & the other entire universe out of my control are all the same in worthiness. I can’t use them actually, anyway.

One’s imaginary profit or happiness is expressed more humorously in Japanese: You estimate the skin of a raccoon dog, which you have not caught yet; or you can’t eat a piece of cake in the picture; or you are in rice bran happiness

のアラブ人のことわざは手の内にある一羽の鳥は藪の中の二羽と同等の価値がある、というラテン語由来の英語のことわざよりかなり誇張されたロマンティックな感がある。しかし、藪の中の二羽の鳥も、空を飛んでいる沢山の鶴も、自分ではどうにもできないその他の一切合切の全宇宙も、価値の面では同等だ。とにかく、実際には利用できない。

想像上の利益や幸福は日本語ではもっとユーモラスに表現する。捕らぬ狸の皮算用といったり、絵に描いた餅といったり、ぬか喜びといったりする。

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Proverb Data

Arab Saying
A thousand cranes in the air are not worth one sparrow in the fist.

逐語的邦訳
空の沢山の鶴は拳の中の一羽の雀の値打もない。

Similar English Proverb
A bird in the hand is worth two in the bush.

連想される日本のことわざ
捕らぬ狸の皮算用。
絵に描いた餅。
ぬか喜び。
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Amazon
Arabic Proverb


Saturday, February 01, 2014

偶数は不吉な数字

字に込められた思いは民族によって異なる。アラブ人は偶数を縁起が悪いと考える傾向がある。その典型例が「千夜一夜」という言い方に現れている。夜が沢山あるということを示すとき、英米人なら a thousand nights とでもいって片付けるのに、アラブ人はわざわざ「千の夜と一夜」のごとくいう。実際、ストーリーは千一夜続くが、西洋人なら百や千といったきっちり割り切れる数字を好むのに、アラブ人は奇数にこだわる。

イタリアの『デカメロン』は、アラブの『千夜一夜の書』と同様に枠構造を有している。上位のストーリー設定は、疫病の流行を逃れて集まった十人がそれぞれ一日に一話ずつ十日 (デカメロン) の間、物語を語るというものである。つまり、百一などという中途半端な数字ではなく、百というきっぱしの数字にたどりつく。

アラブ圏域でも西アフリカあたりでは「千夜一夜」の短縮版ともいうべき「百物語」はあったらしいから、ボカッチョはその影響を受けたのかもしれない。

同じ枠構造でも、バグダッド方面のアラブと西洋の違いは明確で、『デカメロン』では、「話の中で語られる百話」なのに対して、「話の中で語られるシェヘラザードの話の中で語られる話の中で語られる話」というようなことがときどき起こる。シェヘラザードの話の中に出て来る登場人物が別の登場人物の話を聞いたりするシーンはざらにある。しかもいちいち途中で夜が明けるから、中途半端なところで話が途切れる。イタリアでは話が途中で途切れて、つづきはまた明日というようなことがない。日によってテーマが定められている。ひとくちでいえば、いくら推敲・編集を重ねようとも、アラブ人は整然と整えようとする気がなく、自然の気まぐれそのままに気まぐれな進行を好んで用いている。もちろん、夜明けと同時に話が完結しない方が、狂王シャハリヤールの好奇心を刺激して、シェヘラザードの命が助かる確率は上がるとの最上位のストーリーの進行上の都合はあるのだろうけれども、人工化の乏しい、アラブの砂漠の砂が描く曲線のような、自然まかせの不安定さを感じる。アラブの砂漠の地平線に対して、西洋人は整えておかないと気がすまない性分である。モスクは丸みを帯びているのに、教会は十字形で、角張っているのとも関係があるかもしれない。

アラビア語のカリグラフィーは他の文字を有する民族の筆記法とは異なる。その極端な草書体は、楷書化を拒む性質が現れているように感じる。何か整然とした画一性に対する反抗心がアラブ人にはあるのかもしれない。千 (1,000) というきっちりとした数字よりも、千一 (1,001) という割り切れない、どこか不安定な奇数の方が、アラブ人には心地よいものなのだろう。

Thursday, January 09, 2014

Nemesis (hypothetical dwarf)

ネメシス (Nemesis) はギリシャ神話の女神だが、天体に名前を付ける際は神話から引っ張ってくることが多く、ネメシス理論では未だ発見されていない太陽の伴星の赤色 (または褐色) 矮星のことを指す。恒星が双子や三つ子、あるいは、連星で互いの重力で引っ張り合いながらくるくる回っている例は珍しくなく、この事実はネメシス仮説に信憑性を与えていたが、熱や光の発散が少ない星も発見できる赤外線観測衛星を用いた探索でも、ネメシスは発見されなった。よって、太陽は今も独り星のままである。

そもそもネメシス理論は古生物学者のロープ  (David Raup) とセプコスキー (Jack Sepkoski) が一九八四年に、地球上の大量絶滅には2,600万年の周期性があると指摘したことに端を発している。天文学者の二つのグループがそれぞれ、古生物学者の指摘に基づいて、太陽に伴星があると仮定した。それによると、「死の星」ネメシス (“Death Star” Nemesis) なるものが太陽から約95,000天文単位 (1.5光年) 先の周回軌道上にあり、2,600万年毎に太陽系外縁部のオオルトの雲 (Oort Cloud) の小天体をはじき飛ばして、多数の彗星を発生させ、その彗星の一部は地球に衝突して、地球上の環境が激変し、その変化に対応しきれない生物種は絶滅する、というものである。恐竜が絶滅したおおよそ6,500万年前のK-T境界時には75%の種が地球上から姿を消したという。この出来事によって我が世の春を謳歌していた大型爬虫類は絶滅し、こつこつと生きていた哺乳類の時代がやってきた。一説に、恐竜の時代が存続していたら、人類の誕生はなかったともいわれている。

ネメシス仮説の証明に必要なのはネメシスの発見だけである。現在もし、小さくて暗い星のネメシスが太陽の軌道上の計算通りのところにあれば、この仮説は真であり、なければ、偽である。一方、印欧祖語は再建されたものしか現存しない。もしオリジナルの印欧祖語が太古のどこかにあったとしても、時間が食い尽くしてしまっている。時間の壁のせいで確実性は失われている。言語の寿命は星の寿命に比べて極めて短い。言語の命は長くて千年といわれている。たった十世紀で、どんな言語も自然に放置していると変化してしまい、別の言語になってしまうのである。現代の英語話者は古英語を理解できないし、現代の日本人は『万葉集』を古語の学習なしに理解することはできない。

Nemesis

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古生物学
地質学
地質学史
Nemesis Theory

Friday, December 06, 2013

コレフォック

コレフォック (Catalan: correfoc) はスペインのカタルーニャ州で行われる火祭。語源はカタルーニャ語 correr 「走る、巡る (to run)」と foc 「火 (fire)」の合成。悪魔やドラゴンが火をまき散らしながら街を行進する。カトリックの守護聖人エウラリア・デ・メリダ (Santa Eulalia de Mérid. 209-304) に捧げられたお祭の最後のメインイベント。エウラリアはキリスト教徒であったが、当時、ローマは多神教の時代だったので、改宗を迫られた。しかし、彼女は改宗を拒んだので火炙りにされた。エウラリアは拷問を受ける者を守護する。

 有史以前の古代人にとって、火は暖を取ったり、調理に用いられることから、便利で有り難いものであり、そして、不思議なものであった。火を用いて調理するようになって以降、食中毒は激減したはずである。また、寒さから逃れられるので、病気になる確率も減ったはずである。古代人は勿論、そういったものを統計的・観念的には把握していなかったが、感覚的には把握していたにちがいない。そして、時代が進むと、火は神聖なものと位置づけられるようになり、厄祓いに用いられるようになった。火が発する熱は、人の健康を脅かす病魔と呼ぶべき雑菌を死滅させることを現代人は知っている。古代人はバクテリアやウィルスの類を発見していなかったが、火をおこして加熱すると、食べ物が美味になり、病魔を退けられることを経験的に把握していた。つまり、火の浄化作用を知っていたのである。火の崇拝はその経験的な知識からできたものだろう。

 時代が進むと、改心しない邪心を持った人は焼き払わねばならないとする思想が生まれ、火炙りという処刑法が考案された。改心しない人は目に見える魔物と考えられていた。

 多神教時代のローマ帝国は多数のキリスト信者を殉教させたが、キリスト教が天下を取った後は、逆に異教徒・異端者を火炙りにかけることになる。

Monday, October 14, 2013

芋頭でも頭は頭

芋頭でも頭は頭

word-for-word translation
Even if a taro head, a head is a head.

general translation
Even if dull, a leader is a leader.

 日本語のことわざ。

 芋は里芋か山芋かじゃがいもかさつまいもか限定されていないが、里芋か山芋の類だろう。

 いもという単語は、芋にとっては聞き捨てならないことだろうけれども、そのいびつな形から、どこかできそこない的なものを形容するときに用いられる。植物全体としてのイモではなく、食す芋は土中にあるものだから「どろくさいもの」の代名詞。野菜としてありきたりな面もあるから、「つまらないもの」もいもという。しかし、「たとえ芋でも社長は社長」などと讃えられることもある。

 ただ見方を変えると、世襲などによって上に立った者に対する無条件の屈服ともとれる。「あいつは芋でも頭は頭。ついていくしかあんめえ」のような用例があるかどうかは調べていないが、言葉は千変万化するのが普通だから、ありえなくはない。




Wednesday, September 25, 2013

Annuit Cœptis

Annuit Cœptis
--- Great Seal Slogan of the United States of America

word-for-word translation
(He = God) approves of undertakings (= the founding of the United States)

general translation
God approves of the undertakings.

逐語的邦訳
承認されている、事業は
(事業は承認されている。)

 ラテン語の文句。アメリカの国璽の裏面に刻まれている標語の一つ。 annuit annuere 「賛成する、承認する」の三人称単数現在形・現在完了形。 cœptis (単数主格は cœptum) 「事業、企画、立ち上げ、引き受け、着手」などを指し、アメリカ国璽のスローガンでは「アメリカ合衆国の建国」を意図する。Annuit Coeptis E Pluribus Unum の二つの標語は共に十三文字で構成されている。これは独立十三州を暗示している。国璽の裏の図柄のピラミッドも十三段であり、国旗にもなった国璽の表の赤と白のストライプも十三なら、星の数も十三個である。

 パターソン (Richard S. Patterson) とダゴール (Richardson Dougall) の説によると、 Annuit Coeptis はウェルギリウスの『アイネイアス』にあるアスカニウス (Ascanius) の祈りの言葉「全能なるユピテルよ、(我が) 勇敢なる取り組みを応援し給え (Jupiter omnipotens, audacibus annue cœptis.)」から拝借したものだという。

 Annuit Cœptis には王権神授説に対抗する建国者の思想が少なからず反映されているように思える。つまり、ヨーロッパの各国の王は、権力は神によって授けられたものだと主張していたが、アメリカの建国者はそれを真っ向から否定して、神が承認する国のあり方は、民主制のアメリカのみと言いたかったのだろう。

 西洋の社会が啓典の宗教に支配されていることは言うまでもないが、自分たちがそうだから、日本もそうだろう、とアメリカ人が考えたことがある。第二次大戦後のいわゆる東京裁判のとき、米側は日本人の被告に対して行動規範の典拠を執拗に求めたという。しかし、日本の神道に啓典はないから、古典文学の断片が示されるのみであった。ただ、日本の神道にも不文律の啓典はあるのだろう。全国民を守る為に、命令に従って自分の命を捧げた神風特攻隊員や人間魚雷となった兵たちの行いは美徳とされ、命令を下した軍の上層部は非難されない。

Latin Index
E Pluribus Unum (Great Seal Slogan)
Novus Ordo Seclorum  (Great Seal Slogan)

トロイアを探せ (ウェルギリウス関連記事)


Saturday, August 24, 2013

ウィルソンの暦と株式投資

 十九世紀後半から二十世紀はじめに生きたマーク・トウェインが株を売買していたのか、していたとしたら、どのようにしていたのかなど知らないけれど、まぬけウィルソンの暦の十二の金言のうち、十月に載っているものは直接株式の売買に言及したものであり、その見解は遠回しに、値幅取りの投機は避けよ、といっていて、その点でヴァリュー投資家のテンプルトンやバフェット (Warren Buffett, b.1930) の見解と同じである。

 さて、ウィルソンの暦にはポートフォリオ構築に応用できる金言もある。二月の「卵は一つの籠に入れて、よく見張れ」というものである。この見解をテンプルトンとバフェットの投資哲学に照らし合わせると、両者の意見は一致していない。テンプルトンは分散を推奨している。というのも、どんなに注意しても未来は予測不能だからである。対してバフェットロジー (バフェットの投資哲学 = Buffettology) は、企業を二・三社理解するだけでも至難の業なのに、闇雲に分散してリスクを軽減していると思い込むのはまちがいだといっている。バフェトロジーは、この点では、ケインズ (John Maynard Keynes, 1883 - 1946) の投資哲学を継承しているのかもしれない。

 ウィルソンの暦の五月には、意見の相違で競馬が成り立つ、とある。株に値段が付くのも人々の意見に相違があるからである。ある会社の株価が千円だとすれば、千円で買った人と千円で売った人がいて、売買が成立したことを示すが、買った人は千円なら割安だと思ったから買ったのであり、売った人は千円では割高だと思ったから売ったのである。

 文人で株というと、永井荷風と北杜夫の名前がとっさに浮かぶ。林芙美子は株屋の事務員をした経験がある。

Europhoria (テンプルトンに言及)
Newton's Fourth Law (バフェトロジー)
Pudd'nhead Wilson Calendar
噂で買って結果で売る (テンプルトンに言及)
旅を住処とした女 (林芙美子に言及)

Sunday, November 04, 2012

FOXP2

FOXP2遺伝子はヒトでいうと第七染色体上にあり、ほかの動物と比較したとき、二カ所の変異が見つかる。二カ所の変異は二十万年前に発生し、ホモサピエンス以外には、絶滅したネアンデルタール人にしか認められない。FOXP2は遺伝子の発現制御の転写因子をコード化しているという。また、FoxP2 (動物の遺伝子はヒトものと書き分けて区別する) は、マウスやコウモリにもあるという。

 言語学でこの遺伝子が注目されるのは、一九九〇年に英国のある三世代の家系において、三十人中十六人が不全失語症と診断され、その原因がFOXP2の異常と報告されたからである。症状は英語の動詞や名詞の活用を正しく使用できないというものであった。

 二十世紀中葉からチョムスキーが生成文法に関する著作を発表するようになり、二十一世紀になってゲノム解析が可能となると、チョムスキーの生得論の裏付けが試みられるようになった。二十世紀後期にはこの分野における脳神経外科的な研究がはじまっていたが、現代では遺伝子のレベルでも研究が進められているのである。チョムスキーの生得論では、ヒトは普遍文法を遺伝によって引き継いでいる。

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Thursday, October 25, 2012

antiguo


言葉の使い方の違い

  スペイン語 antiguo は英語の antique と同じくラテン語から来ているが、英語では一部の意味が失われているので、使い方に違いがある。

antiguo (Spanish)
[Latin adjective antiquus “antique, old, former,”  made up of preposition ante “before”: PIE root  *ant- "front"]

antique (English)
[Via French, from Latin antiquus.]

モノを指すときは対応する。
reloj antiguo.
(逐語訳)
骨董の時計。
(literal translation)
antique clock.

ヒトを指すとき、英語では former old を使う。
el antiguo proprietario
(和)
元オーナー。
(English translation)
the former owner.

mis antiguos amigos.
(和)
わたしの古い友人。
(English translation)
my old friends.


Sunday, October 07, 2012

双数について

詞の数 (すう) について考えてみる。

 現代英語の名詞は、一つのモノと二つ以上のもので語形が異なる (: word - words)。代名詞もその傾向がある (: it - they)。現代英語と同様に古英語期にはほとんど単数と複数になっていたが、印欧祖語には双数があったと考えられている。現代英語では both between whether either といった言葉が双数の名残と考えられる。
Both her parents.
彼女の両親。 
They both shook their hands.
彼ら二人は握手した。 
He cleaned both ears.
彼は両方の耳を掃除した。 
I possess slaves, both male and female.
わたしは男と女両方の奴隷を所有している。
 between は通例、二つのモノ (または、二者) の間を指し、among は三つ (三者) 以上の関係に用いる。
Silence passed between the two men.
二人の男の間に沈黙が流れた。 
among the three.
その三人の間で。
 ヒトから見て対の物は多い。光と陰、善と悪、賛成と反対、生と死、右と左、前と後ろ、上と下、男と女、父と母、夫と妻、耳、目、鼻の穴、腕、脚などなど枚挙にいとまがない。そのへんが双数の起源であろう。

Thursday, August 16, 2012

バスク人と印欧族

スク人は周囲を印欧族に囲まれてなお言語的アイデンティティーを保った民族である。印欧族よりも早いうちからヨーロッパに居住した人たちであろうけれども、起源はわかっていない。バスク人の主要な生業は漁業・捕鯨であったという。古代の段階で、ローマ帝国はバスク人に自治を認めていたという記録がのこっている。

おそらくヨーロッパには、今となっては知られざる諸民族が暮らしていたのだが、バスク人はその中で生き残った民族のひとつなのであろう。紀元前三〇〇〇年代 (?) から印欧諸語を話す諸民族がじょじょに移住してきて、ケルト、ロマンス、ゲルマン、ギリシャ、アルバニア、スラブ、バルトといった印欧族が、ヨーロッパのほぼ全域を支配していくようになっていく。有史以降はフン族やイスラム勢などの侵入もあるが、基本的に、ヨーロッパは印欧諸族同士が、異なる民族間や、政治・宗教思想間で、互いに争い、土地や覇権を奪い合う歴史を作った。先住民は占領・同化の末にほとんどいなくなった。

バスクに言及した投稿
バスクの始祖 (坂口安吾の小説より)

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Tuesday, July 24, 2012

桃源郷とユートピア

桃源郷は東晋の詩人陶淵明 (365-427) による『桃花源郷』から。漁師が舟で沢を上っていくと、桃の花が咲き誇る仙境に辿り着く。そこから更に進むと、微笑みを絶やさず働く豊かな人々が暮らしている。漁師は歓待されいろいろと話をする。そこに住む人々は秦の時代に始皇帝の圧政を逃れて山に住みついた人々の末裔であった。人々は数百年もの間、外界との交渉を一切断って生活していた。漁師は数日を桃源郷で楽しく過ごして元の土地に帰った。世間の人々は桃源郷の噂を聞いて探しに出掛けたが、誰も辿り着けなかった。

それから千年ほどが過ぎると、英国にも桃源郷は出現する。ユートピア (Utopia) はモア (Sir Thomas More, 1478 - 1516) の十六世紀の小説『ユートピア』から。ギリシャ語 οὐ “not” τόπος “place” から作った言葉で、字義は「どこにもない場所」 モアはその島が赤道の南にあるとし、人々は自然に則って暮らしている。モア自身はカトリック教徒で、英国国教会を打ち立てたヘンリー八世と対立し、ロンドン塔に幽閉され、処刑された。

related leaf
Utopia word history

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陶淵明

Friday, July 06, 2012

lavar

lavar  はスペイン語で「洗う」ことを意味する。日本語では、ブラシでこすって歯の汚れを落とすことを「歯を洗う」とは言わないし、英語でも "wash one's teeth" とは言わないが、スペイン語ではそう表現する。

Me lavo los dientes.
(逐語訳)
自ら (私は) 洗う歯を。
(= 私は歯を磨く。)
(literal translation)
myself, (I) wash the teeth.
(= I brush my teeth)

 英西語間には、代名詞所有格と定冠詞 (複数形) の相違もある。また、スペイン語は自分の身体 (の一部) を洗うとき、再帰代名詞 se (一人称は me) を付け加える。

 スペイン語は動詞の活用で主語の人称が判明するときは主語を省く。

Friday, May 25, 2012

Economic Paradox

Here’s a farmer that hang’d himself on th’expectation of plenty.
--- W. Shakespeare, Macbeth 2-3

It is not sure in economics that plenty production makes makers happy any time. Good supply is not always linked with good economy. It means that prices are going down in the market. Now, the manufacturers of semiconductors, TV’s, & solar panels, are in global discount wars. Good supply makes users happy, but some people can no longer live in such bad times.

In the time of Shakespeare, or earlier, there may have been like this situation in the agricultural production. A porter of Macbeth's castle pretending a gatekeeper of Hell, hears knock, knock, knock,  & then, says to himself (Macbeth Act 2 Scene3) :

PORTER
Here’s a farmer that hang’d himself on th’expectation of plenty.

済学においては豊富な生産が製造者を喜ばせるとはかぎらない。良好な供給は良好な経済と必ずしも結びつくものではない。つまり、市場において価格が下落するからである。今日、半導体、テレビ、ソーラーパネルのメーカーはグローバルなディスカウント競争にあけくれている。良好な供給は使用者には喜ばしい事だが、このような不景気では生きていけない人も出てくる。

シェイクスピアの時代かそれ以前から、農業生産においてこの状況と似たようなことがあったのだろう。地獄の門番気取りのマクベスの城の守衛は、トントントンという音を聞いて、こう言う (『マクベス』第二幕第三場)

門番
豊作を見込んで首をくくった百姓だな。

About "Life is a Joke"
Hanging is too good (吊るす = 首を吊るすこと「絞首、首吊り」) の例。
Macbeth Quotes



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Sunday, May 06, 2012

シュリーマン以前のトロイア

九世紀のシュリーマンはヒサルリクを発掘し都市の遺跡を発見して、ホメロスが歌ったトロイアであると断定した。ヒサルリクには都市が建っては滅ぼされ、建っては滅ぼされの繰り返しがあり、地層は九層にもなっていたそうだが、その第二層がプリアモス王の、そして、ヘクトルとパリスとヘレネのいたトロイアだという。シュリーマンはその層から発見された貴金属の装飾品をプリアモスの財宝と名付けた。このトロイアは紀元前二六〇〇年から紀元前二四五〇年にあった都市で、ホメロスの『イリアス』完成より千五百年以上も古い。

ところでホメロスは、個人ではなく、二大叙事詩の作者・語り手としては複数であった可能性が高いから、紀元前八世紀よりも古くから、「ホメロスたち」はいたと考えた方が妥当だろう。二大叙事詩の完成には紀元前十六世紀から紀元前八世紀までの八百年間を費やしたという説もある。口承で伝えられながら、各地の方言や伝説を交え、肉付けされ、洗練され、推敲されながらも語られつつ、数百年もかかって完成したと想像すると、つくづく歴史はロマンだと感じる。

おそらく最初期の「ホメロスたち」は素朴な軍記物の語り手にすぎなかったのだろう。しかし、時間を経るに従い様々な「ホメロス」が、独自に、あるいは、聞き手の要請に従ったり、その場の雰囲気にあうように工夫したりしながら、詩を発展させていったのだろう。口承ならば、わざわざ決定稿など仕上げる必要はない。文字は確かに便利なものだが、書いた途端に確定するので、物語を固定させるという原罪を犯す。ホメロスたちはギリシャ文字以前の、書くことを知らない、ただただ歌うだけの詩人だったのである。

『イリアス』が完成したとおぼしき紀元前八世紀から更にざっと二千年近くが経過すると、西欧人は十字軍を遠征させるようになる。ビザンチンは別として、アラブ・トルコのイスラム側やほかの東洋諸国はホメロスの叙事詩に深く傾倒することがなかった。ホメロスに夢中になったのはもっぱらギリシャ以西の人々であった。中世のアラブ人は、中世のヨーロッパ人が邪道と見なしていたアリストテレスやピュタゴラスといった古代の哲学者・科学者を熱心に翻訳して研究したが、ホメロスは眼中になかったようだ。もっとも西欧でもホメロス人気が本格的に復活するのはルネッサンス以降であるが・・・

十字軍が巡礼の道を切り開くと、エルサレムを巡るついでに「トロイア遺跡」を見物する観光客が出現するようになる。もちろん、その遺跡はのちにシュリーマンが発見するものとは異なり、大半はローマ人の遺跡にすぎないものであった。十八世紀になると、トルコ領小アジアに「プリアモスの宮殿」や「アキレウスの墓」なるものが見つかり、現地の案内人によって紹介されるようになる。現地のガイドたちが逞しい商売人であったことは、今となっては容易に想像できるが、当時は感心しながら見物した人もいたのだろう。疑念を抱いていたカイリュス伯爵は、「トロイア遺跡」訪問後、登場人物と同様に場所もホメロスの想像だろうと書き残している。

シュリーマンがプリアモスの財宝を発見して歴史の檜舞台に登場する一八七三年まで、「トロイア遺跡」は小アジアの地図のあちこちに現れては消え去り、現れては消え去りを繰り返していたのである。

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Sunday, February 26, 2012

Guns don't kill people

Guns don't kill people, people do

銃は人を殺さない。殺すのは人である。

アメリカの銃規制反対論者の言い分だが、言い得て妙である。実際、無生物の拳銃が殺意を抱くことはあり得ない。

銃の所持はアメリカでは憲法修正第二条によって保障されている。
A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed.
十分に統制された民兵は、自由な州の安全の為に必要であり、武器を保有し携帯する人民の権利は侵害されてはならない。
要するに、自分たちの身・権利・自由は自分たちで守れ、といっているのである。個人間でいざこざがあったときも決闘でけじめを付けるのがアメリカ流であった。

日本には仇討免状なるものがあったというが、それは殺された肉親の仇を討つ為にお上からもらうものであった。上のものから許可がおりなければ、仇討ちはできなかった。今日の日本は法治国家となったが、上の者の意向を伺うという社会的性質はのこっている。

アメリカでティーパーティーのような運動が起こるのは、結局、政府や役人に対する不信感、政府が大きくなることへの不満が原因である。アメリカでは、公的部門の拡大は全体主義の台頭と見なす人が多いのだろう。



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アメリカと銃規制

Tuesday, February 14, 2012

リカードVSマルサス

十九世紀の英国には、現代のTPP加盟に賛否両論がある日本と同様の論争があった。自由貿易を推進しようとしたのが、リカード(David Ricardo, 1772-1823) であり、対して穀物輸入の関税を維持すべしとしたのは、マルサス (Thomas Robert Malthus, 1766-1834) である。

リカードの主張はだいたい次のようなものであった。

関税をかけて外国産の穀物を排斥していると、不足分を補うため痩せた土地まで開墾しなくてはならなくなり、採算が合わなくても農作物の生産を拡大しなければならなくなる。また、農作物よりもより利潤が大きい非農業生産物への人材や土地などの配分が結果的に減り経済効率が悪くなる。銘々が得意分野に専念した方が効率が良い。保護貿易による国家全体の生産性の減少は、いうなれば、国富を失うことである、

 対する保護貿易論者マルサスは、人口が増加すれば、農地代なども高い価値となるから、安易に関税を外して海外の安価な穀物を買うことはしない方が良いといったことを主張した。

あまりにも単純にまとめすぎているかもしれないが、この論争は、要するに、産業革命でのし上がってきた工場資本家対旧態依存の地主の戦いであった。現代日本でも経団連はTPP参加賛成、農家は反対の立場をとっている。

英国は一八四六年に関税を設定している穀物条例を廃止した。

ヴィクトリア朝時代は産業革命の先行と自由貿易によって、大英帝国は絶頂期に達したけれども、勢いは長続きせず、十九世紀も末期になると、斜陽の状態になっていった。大量生産の工業化は欧州の大陸諸国や米国でも一般化し、英国の経済的な優位性は崩れていったのだ。それでも、「世界の工場」は過去の蓄財で「世界の銀行」になり、植民地や外国への投資分のリターンで潤い、有閑マダムや不労所得者が出現するなど、奢侈な生活を送る人々も大勢いたようである。

大英帝国がたそがれていったのは自由貿易のせいではないだろう。よその国々でも大規模機械工業化が起きて、英国に追いついたのが主因だと思う。



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Monday, February 06, 2012

なまけものジャック

怠惰は基督教では七つの大罪の一つと数えるが、イングランドの古い民話に『なまけものジャック (Lazy Jack)』と呼ばれるものがある。はじめはものぐさであったが、素朴で素直な少年であったために、ハッピーエンドとなる物語である。日本にも似たような民話はありそうだが、咄嗟には浮かんでこない。民話は単にエンターテイメントであったばかりでなく、親から子に伝えるべき様々な生活の知恵を盛り込んだものであった。おそらく、当初はもっと単純なあらすじのものだったのだろう。

なまけものというと、のろま、愚鈍、馬鹿などと見たり、役立たずと見たりする人もいるだろうけど、何事も一面的に見るのはよろしくない。なまけものジャックは最後には、口の聞けない少女を助ける。

物語を詳細に書いてみる。

貧しい母親と二人暮らしのなまけものジャックは食っちゃ寝・食っちゃ寝の生活をしていたが、とある月曜日、母親にせかされて仕事をしよう決める。

火曜日、近所の農家にいって手伝いをして駄賃をもらうが、帰りに小川に落としてしまう。母親はかんかんで、「ちゃんとポケットに入れてもってきなさい」と忠告する。ジャックは素直なので次はそうするという。

水曜日、乳牛の世話を手伝って牛乳をジャー一本分分けてもらったのだが、その牛乳をポケットに入れて全部こぼしてしまう。「それはちゃんと頭にのせてもってきなさい」とかんかんの母親は忠告する。ジャックは素直なので次はそうするという。

木曜日、農家に行ってチーズ作りを手伝い、お礼にチーズをもらってくるが、ジャックはチーズを頭の上にのせて運んだので、日が当たり、帰宅するまでにはどろどろにとけてしまう。「ちゃんと両手に持って帰ってきなさい」とかんかんの母親は忠告する。ジャックは素直なので次はそうするという。

金曜日、パン屋に行って手伝う。パン屋はジャックに猫をあげる。ジャックは慎重に猫を両手で抱えて連れて帰ろうとしたが、猫は途中で暴れてひっかいて逃げてしまう。「ちゃんと紐で結わえてくればいいんだよ」とかんかんの母親は忠告する。ジャックは素直なので次はそうするという。

土曜日、肉屋の手伝いをして、肉を分けてもらうが、紐で結わえて引きずって帰ったので、家に着くまでに肉がぼろぼろになってしまう。「ちゃんと肩に担いで持ってきなさい」とかんかんの母親はいう。ジャックは素直なので次はそうするという。

日曜日、牧場で手伝いをして、ロバをもらう。ジャックは苦労してロバを肩に担いでえっちらほっちらうちに帰るのだが、帰路にお金持ちのうちがあり、そこにはかわいそうな一人娘がいる。その女の子は口が聞けず、医者がいうには、誰かが笑わせないと口が聞けるようにはならないのだという。そこにやってきたのが、苦労しながらロバを担いでいるジャックである。窓からその様子を見た女の子はゲラゲラと笑い出し、口が聞けるようになる。父親の旦那さんは大喜びで、ジャックと娘を結婚させることになる。ジャックはお金持ちの紳士になり、貧しい母親に親孝行もして、めでたしめでたし。

この話は産業革命以前のイングランドをどこかに漂わせているように感じる。

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イギリスの民話
English fairy tale

Sunday, January 15, 2012

書不尽言、言不尽意

書不尽言、言不尽意

読み下しでは、書は言 (ゲン) を尽くさず、言は意を尽くさず。『易経』に由来するフレーズ。書物は言いたいことを書き尽くしていないし、言葉は意志を伝えきれない。

中国の古典は、書が不完全で伝えきれないことを示しているにすぎないけれども、キリスト教の書物は、書は不完全であるが故に、不信なものと説く。スピリット (霊) が文字として刻まれると、それはもはや怪しい危険なものになるのだ。モーセの石板よりも肉をもって行動したイエスの方が真理を著している。『コリント人 (びと) への第二の手紙』三章六節には ----- the letter killth, but the spirit giveth life... (KJV) ----- 文字は殺すが、霊は生かす、と記してある。もちろん、聖書も書物の一種にすぎないのだが。

 コリント人へのアドヴァイスは極端な例といえるけれども、どのような書物であれ、大なり小なり、行間には作者が語り尽くしていないことが書いてあるわけで、それが見えてきたら、本当の読書といえるのかもしれない。

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