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Saturday, June 27, 2015

apple

apple

Apple はゲルマン語で、血縁語は
スラブ語派、バルト語派、ケルト語派に
見つかるが、古典ギリシャ語やラテン語には
見当たらない。それでも印欧祖語は
再建されている。
 PIE abel- “apple.”

Apple の原義は「実」だったが、
のちに限定的となり、
「りんご」を指すようになった。

古英語 (アングロ・サクソン語) に
「実」を指す言葉は二つしかなかった。
 1. Old English æppel “any kind of fruit
 other than berries; nut; someone or
 something cherished (ie. pupil or eyeball).”
 2. Old English berie “berry.”

Apple は「くるみ、木の実」も含めて、
berry 以外のあらゆる実を指し、
古英語期にはすでに
apple of one’s eye --- 即ち、
「瞳、大切なもの (者 / 物)」の意味があった。
このフレーズは、以下のように用いる。

 ・She’s the apple of her father’s eye.
  あの子は父親にとても大切にされている。

 ・He (God) found him (Jacob) in a desert land,
 and the waste howling wilderness;
 he led him about, he instructed him,
 he kept him as the apple of his eye.
 神はヤコブを荒涼とした原野たる砂漠に見つけて、
 導き、教え、そして、大切に見守りました。

Apple が「瞳、目玉」を
指すこともあるということは、
Apple と Berry の違いは
大きさにあるのではなく、
硬さにあるのだろう。
Apple はたやすくつぶれない実、
Berry はたやすくつぶれる実。

古いノルド人の神話では、
(Old Norse)
世界樹ユグドラシルの緑の枝に
 (Yggdrasil)
イズンと呼ばれる女神が、
 (Iduna)
夫の歌の神ブラギと共に
 (Bragi)
黄金の実を護りながら暮らしている。
その実を食べる北欧の神々は、
若々しさを保ち、不死である。
 アンブロシアやネクトルで若さを保つ
 オリュンポスの神々のように。
あるとき、ロキのいたずらな
 (Loki) 
誘いにのって、イズンは
アースガルズから出てしまい、
 (Asgard)
鷲の姿をした巨人スィアチによって
 (Thiazi)
巨人の国ヨトゥンヘイムにさらわれた。
 (Jotunheim) 
この事件のせいで、
アースの神々は若返りできなくなり、
 (Aesir)
どんどん年を取っていった。
困った神々は、ロキを叱り飛ばして、
イズンを救い出すよう命令した。
ロキがはやぶさの姿になって
スィアチを挑発すると、鷲は
はやぶさを追いかけ回した。
ロキがアースガルズに入っていくのを
スィアチは追いかけていったが、
ロキが過ぎ去ると共に、炎が
ばっと上がり、スィアチの翼に燃え移った。
アース神たちは薪を積みあげて、
あらかじめ火をおこして
待ち構えていたのだった。
あわれスィアチは火だるまとなって
地面に落ち、アース神たちに殺された。
ロキはイズンをくるみに変えて、
アースガルズに連れ戻した。


イズンの実は不老不死の実
(Apple of perpetual youth)
ともいわれる。

古英語のゆびのみ (fingeræppla) は
「椰子の実」であり、
大地の実 (eorþæppla) は
「きゅうり」であった。
中英語の楽園の実 (appel of paradis) は
比喩的に「バナナ」を指すこともあった。。

今でも修飾語を伴うと「実」の意味になる。
西インド諸島で、ワニが食べるという実は、
 alligator apple
オーストラリアの食用の実は、
 kangaroo apple
卵の形の茄子は、
 egg apple (= fruit of the egg-plant)
ジャマイカのワイルドマンゴーは、
 monkey apple
ざくろ (pomegranate) は
 punic apple
エデンの園でイブとアダムがかじった
楽園の実は
 apple of paradise
ところによっては蕪も apple と表現する。
松かさ (pine cone) に似ている南国の実は
パイナップル (pineapple) と呼ばれている。
また、悪魔の実 (devil’s apple) といえば、概ね、
マンドレーク (mandrake) のことである。

love apple --- 「愛の実」は、トマト。
トマトは、十六世紀のヨーロッパでは、
媚薬になると信じられていた。
ちなみに
仏語は --- pomme d'amour
独語は --- Liebesapfel
またトマトはかつて「黄金の実」
 golden apple
と呼ばれていたが、この名付け方は
イタリア語やロシア語と関係がある。
(
ロシア語の語源はイタリア語)
 Italian pomodoro 「黄金の実 = トマト」
 Russian помидор (pomidor)

Apple に意味上対応するラテン語は
 pōmus
このラテン語はフランス語 pomme の
語源で「りんご、実」を指す。
仏語で土の実 / 大地の林檎
(pomme de terre) は「じゃがいも」のこと。
pomum は印欧語ではないが、
ローマの果実や木の実の女神ポモナは親戚語。
 ・Pomona is the Roman goddess of fruits and nuts.

ラテン語にはまた fructus (→English fruit) もある。
フルーツはもともと
「(生ったことの) 喜び、収穫」
の意味であった。

Apple
に意味上対応するギリシャ語は
 µῆλον
現代英語の melon は
「甘みのある瓜、メロン、西瓜」を指すが、
古典ギリシャ語では、もっと様々なものを指す。
ギリシャをはじめ、ケルト諸国や
中央アジアの国々では、
龍が実 (ギリシャの場合、  µῆλον ) を
守っていた。(See dragon)
Apple は、現代英語の一般的な用法では、
「りんご (の実/果肉/木)」を指す。

 ・An apple a day keeps the doctor away.

 ・Apples don’t fall too far from the tree. You
 are like your parents.

 ・Children love an apple more than gold.

 ・This tree brings forth sour apples.

 ・Your argument is as like as an apple is like an oyster.
 (William Fulke)

 ・Fresh apples float because 25% of their
 volume is air.

 ・Each person considers his fart sweeter
  than an apple.

 ・Let's face it. English is a crazy language.
 There is no egg in eggplant nor ham in
 hamburger; Neither apple nor pine in
 pineapple.

 ・Most of our best apples are supposed
 to have been introduced into Britain
 by a fruiterer of Henry the Eighth.

 ・apple pie.

 ・His friend came round
 with a four-pound apple strudel.

 ・apple brandy.

 ・apple cider.

 ・apple orchard.

 ・apple gathering.

 ・apple bobbing - a game to try and catch apples
 in the mouth while they float in the bucket of water.

 ・apple vender.
 ・apple woman: who keeps a stall for selling apples,

 ・We did everything together, schoolwork,
 tree-climbing, apple-stealing, and all kinds
  of mischief-making.

 ・She borrowed the apple-scented shampoo
  for her shower.

 ・Fragrant apple flowers.

 ・And now the flower, and deadly fruit will come
  With *apple-time in autumn.
  (Swinburne)

日本語のりんごは、古くは、
りんこう、りんき、りんきん
など呼ばれていた。語尾の -ご は、
いちごの -ごと同じで、果物につけた接尾辞。
りんご が「りんごの木」を
指すこともあるように、英語でも
apple tree
を単に apple とはしょることは多い。
十七世紀のベイコンは、

 ・Oaks and beeches last longer
 than apples and pears.
  樫や橅は林檎の木や梨の木よりも
 長持ちする。
と書き残している。

丸っこいものや赤いものを親しみをこめて
apple
と形容することもある。

 ・a pretty apple-cheeked girl.

 ・a plump, rosy-cheeked, apple-faced young woman.

 ・That apple-shaped Head
 which its hair binds close into a ball.

 ・a little apple-headed dog.

英王室の礼装に用いる宝珠は
黄金の林檎と呼ばれている。
(The orb of the English Regalia is called
the golden apple.)

また、腐ったりんごは比喩で、
中英語期からあり、「わるい人」を指す。
シェイクスピアもこのフレーズは用いている。
 ・A goodly apple rotten at the heart.
  (Merchant of Venice, 1.3)
  芯の腐った見栄えばかり良いりんご。

一人でもわるい人がいると、
周囲の人はみなわるくなる、という。
 ・A rotten apple can spoil the whole barrel.
  腐ったりんごが一つあると、
  樽全体が駄目になる。

コックニーの押韻俗語では、
Apples and pears は stairs、即ち、
「階段」のこと。略して、apples

apples and rice ( or apples and spice ) は
nice の押韻俗語であったが、
オーストラリアやニュージーラントでは、
うしろの方をはしょって、
apples
だけで nice の意味になった。
(
この俗語は everything is の代わりに
she’s
を使うこともある)
 ・She’ll be right, mate. She’s apples.
 (うまくいくって。万事うまくいく。)

アフメッド王子のりんごは万能薬のこと。
(Prince Ahmed’s apple)
アラビアンナイトから。

動詞 apple は滅多に使われないが、
「実る、(実が) なる、(蕪などが) 膨らむ」こと。
または、「りんごをもいで集める」こと。

apple
[Old English æppel “edible, swollen-but-firm part of any plant; nut (compare berry); something or someone cherished.” The most frequently used sense in Present-Day English is “any kind of the fruit of a tree belonging to the genus Malus in the rose family, cultivated in countless varieties all over the two template zones.
   The home of the apple is Central Asia, but the origin of the word apple is uncertain. Cognates, however,  are found in other languages of Germanic, Baltic, Slavic, & Celtic branches in the Indo-European family..]

GERMANIC COGNATES
German Apfel
Dutch appel
Danish æble
Norwegian eple
Swedish äpple
Icelandic epli

BALTIC COGNATES
Lithuanian obuolys
Latvian ābols

SLAVIC COGNATES
Russian яблоко
Polish яблоко
Czech jablko
Serbian јабука
Slovak jablko
Slovenian jabolko
Croatian jabuka

CELTIC COGNATES
Irish úll
Welsh afal

東洋の外来語
日本語 アップル
朝鮮語 애플


➡️ab ovo usque ad mala
➡️Adam’s apple
➡️Apple John
➡️apple knocker
➡️apple of discord
➡️apple of Sodom
➡️apple pie
➡️apple polisher


Friday, June 26, 2015

空飛ぶ絨毯、千里眼鏡、万病を治すりんご

空飛ぶ絨毯、千里眼鏡、万病を治すりんご

王様は三人の息子に姪と結婚したいなら、
三人三様にそれぞれ旅に出て、
珍奇なるものを探して来い、と命じる。
「一番余を驚かせた者に、姪との結婚を許す」
三人はいっしょに旅立ち、
ある町の宿で、一年後にまたここで会おう、
と互いの健闘を祈りつつ別れた。
長兄の王子フサインは見事な織物の
空飛ぶ絨毯を見つけた。
次兄の王子アリはどんなに遠くとも
見渡せる象牙の望遠鏡を見つけた。
末っ子のアフメッド王子はサマルカンドで、
どんな病もその香で治すりんごを見つけた。
そして、三人はランデブーの町に
意気揚々と帰って来た。
それぞれ自分の勝利を確信していた。
三人が合流して早速望遠鏡を覗くと、
姪のナウロ二ハール姫は重い病に
ふせっていた。これはたいへん、と、
三人は急いで空飛ぶ絨毯に乗り、
帰郷を急いだ。姫の臥所にいって、
アフメッド王子がりんごを
その顔に近づけると、
顔色はみるみるよくなり、姫は
病から回復した。三人の誰が
欠けても姫は助からなかっただろう。
この話はアラビアンナイトにある。

アフメッド王子とりんごの話
(The Tale of Prince Ahmed & the Apple)


Saturday, February 01, 2014

偶数は不吉な数字

数字に込められた思いは民族によって異なる。アラブ人は偶数を縁起が悪いと考える傾向がある。その典型例が「千夜一夜」という言い方に現れている。夜が沢山あるということを示すとき、英米人なら a thousand nights とでもいって片付けるのに、アラブ人はわざわざ「千の夜と一夜」のごとくいう。実際、ストーリーは千一夜続くが、西洋人なら百や千といったきっちり割り切れる数字を好むのに、アラブ人は奇数にこだわる。

イタリアの『デカメロン』は、アラブの『千夜一夜の書』と同様に枠構造を有している。上位のストーリー設定は、疫病の流行を逃れて集まった十人がそれぞれ一日に一話ずつ十日 (デカメロン) の間、物語を語るというものである。つまり、百一などという中途半端な数字ではなく、百というきっぱしの数字にたどりつく。

アラブ圏域でも西アフリカあたりでは「千夜一夜」の短縮版ともいうべき「百物語」はあったらしいから、ボカッチョはその影響を受けたのかもしれない。

同じ枠構造でも、バグダッド方面のアラブと西洋の違いは明確で、『デカメロン』では、「話の中で語られる百話」なのに対して、「話の中で語られるシェヘラザードの話の中で語られる話の中で語られる話」というようなことがときどき起こる。シェヘラザードの話の中に出て来る登場人物が別の登場人物の話を聞いたりするシーンはざらにある。しかもいちいち途中で夜が明けるから、中途半端なところで話が途切れる。イタリアでは話が途中で途切れて、つづきはまた明日というようなことがない。日によってテーマが定められている。ひとくちでいえば、いくら推敲・編集を重ねようとも、アラブ人は整然と整えようとする気がなく、自然の気まぐれそのままに気まぐれな進行を好んで用いている。もちろん、夜明けと同時に話が完結しない方が、狂王シャハリヤールの好奇心を刺激して、シェヘラザードの命が助かる確率は上がるとの最上位のストーリーの進行上の都合はあるのだろうけれども、人工化の乏しい、アラブの砂漠の砂が描く曲線のような、自然まかせの不安定さを感じる。アラブの砂漠の地平線に対して、西洋人は整えておかないと気がすまない性分である。モスクは丸みを帯びているのに、教会は十字形で、角張っているのとも関係があるかもしれない。

アラビア語のカリグラフィーは他の文字を有する民族の筆記法とは異なる。その極端な草書体は、楷書化を拒む性質が現れているように感じる。何か整然とした画一性に対する反抗心がアラブ人にはあるのかもしれない。千 (1,000) というきっちりとした数字よりも、千一 (1,001) という割り切れない、どこか不安定な奇数の方が、アラブ人には心地よいものなのだろう。

Monday, October 29, 2012

瞳

日本語では「目に入れても痛くない」くらいにかわいいといった言い方をする。もちろん、大切にしたい人は「目に入れても痛くない」のである。

 アラブ人は大切な人を「わたしの瞳」と表現する。時には、妹が姉にいうこともある (バートン版千夜一夜の第十七夜)。

 英語では、「瞳」も「児童、生徒」も pupil という。両方の意味において語源は究極的には同じであり、印欧祖語語根「(哺乳動物の) 乳頭、乳首」からできている。「生徒、児童」の意味の pupil はラテン語の男性形名詞からで、「瞳、瞳孔」は女性形名詞から。瞳を覗き込むと覗いた人の姿が瞳に反映されて「小さな人形」または「ちっちゃな女の子」に見えることから、命名されている。ただ、英語では大切な人を pupil とは言わない。

 pupil 「瞳、瞳孔」を指す英語の言い回しに apple of the eye 「目の実 or りんご」があり、この表現では比喩的に「大切なもの (者 or 物)」を指すことがある。apple of the eye には九世紀の初出例がある。英語はアラビア語と同様に、目に入れても痛くないものではなく、瞳そのものだから大切なのだと表現していることになる。

pupil "student, learner"
[Anglo-French noun pupille “orphan,” from Latin masculine noun pupillus (feminine noun pupilla), from noun pupulus “little boy,” from masculine noun pupus “boy, child” (feminine noun pupa ”girl.” PIE root *pap- “teat.”)

pupil “center part of the iris of the eye”
[Middle French, from Latin  feminine noun pupilla “pupil of the eye; little doll,” from pupa. The pupil is so called because when you look into the eye, an image like a little doll or girl is reflected on that part of the eye.]

apple of the eye "pupil; cherished one or thing."
[Old English.]

→体の部位に関わりのある言葉
→果物 (apple について言及)
→言葉の使い方の比較
→繋がっている眉毛 (体の特徴と各民族の言い伝えの違い)


Thursday, April 19, 2012

芥川の一服の夢

芥川龍之介の作品には、煙草のせいか、お酒のせいか、何がしかの精神安定剤のせいか、本を読みすぎているせいか、判然とはしないが、幻想的なものが多いように感じる。『河童』は河童の国を訪ねる一種ガリバー的な物語だし、『蜘蛛の糸』は天国から地獄に蜘蛛の糸を垂らす話だし、『杜子春』は仙人が出てくる話で、漱石が絶賛したという『鼻』はリアリティーのない長い鼻をコンプレックスにしている僧の話である。また、未完ながらも『リチヤアド・バアトン訳「一千一夜物語」に就いて』なるエッセーも書いている。

幻想を好むのは小泉八雲やホルヘ・ルイス・ボルヘスも同じであった。また、中国には一炊之夢の逸話があったと思う。芥川の『魔術』は一炊之夢的モチーフでできた物語である。但し、飯を炊く間の夢ではなく、葉巻を吸っている間の夢だが。

『魔術』が千夜一夜にインスパイアされた物語であることも想像できる。魔術の使い手であるミスラ君は言う。
「ジンなどという精霊があると思ったのは、もう何百年も昔のことです。アラビヤ夜話の時代のこととでも言いましょうか。・・・」
『魔術』において人間の欲なるものは単純に扱われている。富や財への欲望である。しかし、文豪に尋ねてみたいのは、スキルを得たいだとか特別な存在になりたいというのも欲であり、もし欲あるならば、魔術は教われないというのであれば、魔術を身に付けたいと思うことが欲なのだから、決して魔術は教えてもらない、ということになるではないか、ということである。

さて、作家は何と答えるか?

いろいろと論難すると、短編を長編に作り変えて答を提示してくれたかもしれない。


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Monday, July 25, 2011

Puris omnia pura

Puris omnia pura

word-for-word translation
To the pure, all, pure.

general translation
To the pure all things are pure.

逐語的邦訳
清き者には、すべて、清い。
(清き者には万物清し。)

このラテン語の諺は新約聖書『テトスへの手紙 (the Epistle of Paul to Titus)』一章十五節に記されている。一六一一年に刊行された欽定訳聖書 (King James Version) の当該箇所には次のような文が載っている。
Unto the pure all things are pure: but unto them that are defiled and unbelieving is nothing pure; but even their mind and conscience is defiled.
清き人たちには万物が清いものです。しかし、けがれて信じない人たちには清いものはありません。しかもその人たちの精神や意識までもがけがされてしまっているのです。
精神や意識のけがれは、ユダヤ人の作り話や真理から外れていった人たちの教え (一章十四節) によって引き起こされる、というのが新訳聖書の解釈である。

上記のような聖書の文言は最近まで知らなかったが、puris omnia pura に最初に出会ったのはかなり昔で、バートン卿 (Sir Richard Burton) の『千夜一夜の書 (The Book of a Thousand Nights and a Night)』であった。アラビアンナイトの英訳書の題辞には幾つかの名句が並べられているが、その筆頭に掲げられているのがこの諺であり、バートン卿は「アラブの諺 (Arab Proverb)」と説明書きしている。

ラテン語の purus (男性形主格) は英語 pure の語源である。

Latin Index

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