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Thursday, May 10, 2012

mentor

mentor

--- Word DNA ---------------------------------------
1750 noun “trusted adviser, teacher, coach, or guide.”
1976 verb “to be a mentor of; to teach or guide.”

ETYMOLOGY
French mentor, the common noun of the proper name Mentor, from Greek. He is a sage at Ithaca who guides young Telemachus in Homer’s Odyssey.

Greek form: Μέντωρ.
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

有名詞メントルが一般名詞になったもの。「信頼された助言者、指南役 ()、ガイドしてくれるもの」などを意味する。
Darwin’s mentor, John Stevens Henslow.
ダーウィンの師 ジョン・スティーヴンス・ヘンスロウ。 
 Bible should be our mentor.
聖書が我々の道しるべでなくてはならない。
ホメロスの『オデュッセイア』において、オデュッセウスの島国イタカで、オデュッセウスの息子テレマコスを教育する。オデュッセウスはトロイアの戦争に参加しなければならなくなり、生まれて間もない赤子のテレマコスを島にのこして戦地に赴く。戦争で十年、帰郷に十年を費やすから、都合二十年間、自分の国を留守にする。その間、教育を託されたのがメントルである。

二十世紀になると動詞用法も出現した。
Aristotle mentored Alexander the Great.
アリストテレスはアレクサンダー大王の個人教授であった。
The best way to learn how to mentor is to be mentored.
教える方法を学ぶのに一番良いのは教えを受けてみることである。
関連
ユリス
シュリーマン以前のトロイア
ataraxia
kleptcracy
clepsydra
Ulysses pannos exuit

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Tuesday, May 08, 2012

ユリス

デュッセウスはフランス語ではユリス (Ulysse) という。ルーマニアで生まれフランスに移住した詩人バンジャマン・フォンダーヌ (Benjamin Fondane, 1898-1944) は、一九三三年に『ユリス』と題する長編詩を発表した。一九二二年に本になったジョイスの『ユリシーズ』の影響があるのかどうかは不明だが、フォンダーヌはさまよえるユダヤ人をオデュッセウスになぞられている。ジョイスも流浪の人であったが、ユダヤ人ではなかった。それに対してフォンダーヌは自分自身がユダヤ人であった。オデュッセウスは故郷 (home) の島イタカに、ジョイスのユリシーズ、即ち、レオポルド・ブルームもイタカとも呼べる妻の待つ自分のうち (home) に帰ることがてきたが、フォンダーヌは故郷ルーマニアには戻れなかった。ナチと呼ばれるドイツの怪物に捕まり、アウシュビッツの毒ガス室に送られてしまったからである。

関連
シュリーマン以前のトロイア
Ulysses pannot exuit


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Sunday, May 06, 2012

シュリーマン以前のトロイア

九世紀のシュリーマンはヒサルリクを発掘し都市の遺跡を発見して、ホメロスが歌ったトロイアであると断定した。ヒサルリクには都市が建っては滅ぼされ、建っては滅ぼされの繰り返しがあり、地層は九層にもなっていたそうだが、その第二層がプリアモス王の、そして、ヘクトルとパリスとヘレネのいたトロイアだという。シュリーマンはその層から発見された貴金属の装飾品をプリアモスの財宝と名付けた。このトロイアは紀元前二六〇〇年から紀元前二四五〇年にあった都市で、ホメロスの『イリアス』完成より千五百年以上も古い。

ところでホメロスは、個人ではなく、二大叙事詩の作者・語り手としては複数であった可能性が高いから、紀元前八世紀よりも古くから、「ホメロスたち」はいたと考えた方が妥当だろう。二大叙事詩の完成には紀元前十六世紀から紀元前八世紀までの八百年間を費やしたという説もある。口承で伝えられながら、各地の方言や伝説を交え、肉付けされ、洗練され、推敲されながらも語られつつ、数百年もかかって完成したと想像すると、つくづく歴史はロマンだと感じる。

おそらく最初期の「ホメロスたち」は素朴な軍記物の語り手にすぎなかったのだろう。しかし、時間を経るに従い様々な「ホメロス」が、独自に、あるいは、聞き手の要請に従ったり、その場の雰囲気にあうように工夫したりしながら、詩を発展させていったのだろう。口承ならば、わざわざ決定稿など仕上げる必要はない。文字は確かに便利なものだが、書いた途端に確定するので、物語を固定させるという原罪を犯す。ホメロスたちはギリシャ文字以前の、書くことを知らない、ただただ歌うだけの詩人だったのである。

『イリアス』が完成したとおぼしき紀元前八世紀から更にざっと二千年近くが経過すると、西欧人は十字軍を遠征させるようになる。ビザンチンは別として、アラブ・トルコのイスラム側やほかの東洋諸国はホメロスの叙事詩に深く傾倒することがなかった。ホメロスに夢中になったのはもっぱらギリシャ以西の人々であった。中世のアラブ人は、中世のヨーロッパ人が邪道と見なしていたアリストテレスやピュタゴラスといった古代の哲学者・科学者を熱心に翻訳して研究したが、ホメロスは眼中になかったようだ。もっとも西欧でもホメロス人気が本格的に復活するのはルネッサンス以降であるが・・・

十字軍が巡礼の道を切り開くと、エルサレムを巡るついでに「トロイア遺跡」を見物する観光客が出現するようになる。もちろん、その遺跡はのちにシュリーマンが発見するものとは異なり、大半はローマ人の遺跡にすぎないものであった。十八世紀になると、トルコ領小アジアに「プリアモスの宮殿」や「アキレウスの墓」なるものが見つかり、現地の案内人によって紹介されるようになる。現地のガイドたちが逞しい商売人であったことは、今となっては容易に想像できるが、当時は感心しながら見物した人もいたのだろう。疑念を抱いていたカイリュス伯爵は、「トロイア遺跡」訪問後、登場人物と同様に場所もホメロスの想像だろうと書き残している。

シュリーマンがプリアモスの財宝を発見して歴史の檜舞台に登場する一八七三年まで、「トロイア遺跡」は小アジアの地図のあちこちに現れては消え去り、現れては消え去りを繰り返していたのである。

関連
トロイアを探せ
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Ulysses pannot exuit


  
   



Tuesday, May 17, 2011

Ulysses pannos exuit


Ulysses pannos exuit

word-for-word translation
Ulysses, rags, has taken off.

general translation
Ulysses has taken off the rags.

逐語的邦訳
オデュッセウスはぼろきれを脱ぎ去った。

 『オデュッセイア』の逸話から出来たフレーズ。見違えること、がらりとよくなること。
 ギリシャ名オデュッセウスはローマ名ウリセスであり、英語名はユリシーズであるが、故郷のイタケ (Ithaca) の島に漂着したとき、乞食同然の姿であった。しかしイタケの王であることを証明する手段はあった。留守中に国に集まってきて宮殿を占拠し、オデュッセウスの妻である王妃ペネロペイア (Penelope) に言い寄っていた者たちと、伝来の大弓の引き比べでIDを示せるように仕組んだのである。オデュッセウスの国や妻を横取りしようとしていた者たちは誰一人としてまともに弓を引けなかったが、最後に正体いまだ明かさずのぼろをまとったオデュッセウス本人が見事に弓を引き矢を放って見せた。一同が屈辱的な怒りを覚える中、オデュッセウスはぼろを脱ぎ捨て、正体を明かし、王国の簒奪者どもを成敗する。
 この表現は「君子は豹変する」に似ている。豹の斑がはっくりくっきりしているように君子たる者は過ちを改めるというのが本来の意味であったが、態度ががらりとかわってぐっとよくなることを意味していた。「オデュッセウスはぼろを脱ぎ去った」は、本来の姿を露わにして、格段に良くなったことを指すから、古来の意味では西洋と東洋の二つの諺はよく似ている。「君子は豹変する」の原典は『易経』である。
 ただ、「豹変」は、今日では、「君子は」と必ず結びつくわけではなく、たとえば、「殺人鬼に豹変した」などと、悪い方に急にかわることも意味するようになったから、その点では異なっている。

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