書不尽言、言不尽意
読み下しでは、書は言 (ゲン) を尽くさず、言は意を尽くさず。『易経』に由来するフレーズ。書物は言いたいことを書き尽くしていないし、言葉は意志を伝えきれない。
中国の古典は、書が不完全で伝えきれないことを示しているにすぎないけれども、キリスト教の書物は、書は不完全であるが故に、不信なものと説く。スピリット (霊) が文字として刻まれると、それはもはや怪しい危険なものになるのだ。モーセの石板よりも肉をもって行動したイエスの方が真理を著している。『コリント人 (びと) への第二の手紙』三章六節には ----- the letter killth, but the spirit giveth life... (KJV) ----- 文字は殺すが、霊は生かす、と記してある。もちろん、聖書も書物の一種にすぎないのだが。
コリント人へのアドヴァイスは極端な例といえるけれども、どのような書物であれ、大なり小なり、行間には作者が語り尽くしていないことが書いてあるわけで、それが見えてきたら、本当の読書といえるのかもしれない。
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