Tuesday, January 31, 2012

有終

終の美と使われる有終は、中国最古の詩集といわれる『詩経』が出典で、その中の大雅の『蕩』の中にある。『蕩』は、天命で地上を託された周が徳をなくして自ら滅んでいくさまを嘆いているもので、初めがないということはないが、 終わりがあるものはすくない、ということをいっている。
靡不有初
鮮克有終

初め有らざるは靡 (な) し
克 (よ) く終わり有るは鮮 (すく) ない
靡しは否定の「なし」、鮮なしは数が少ないというときの「すくない」と同じ。終わりが有る終わりは、単にジ・エンドがあるということではなく、完璧に仕上がって終わるの意味である。end の類語でいうと goal / accomplishment あたりがしっくりくるだろう。

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Monday, January 30, 2012

天上天下唯我独尊

元前六世紀頃の天竺に、釈迦族の王浄飯王 (じょぼんのう・シュドーダナ / 梵語 Śuddhodana) とその妃摩耶 (梵語 Māyā) がいた。

 ある晩、王妃摩耶は夢を見た。悪魔が姿を消して、光を放つ六本の牙の白い象が現れ、摩耶の右脇腹から体内に入った。目覚めてこの夢のことを夫である王に話すと、王は
 婆羅門 (バラモン / 梵語 braahmana) を呼んで占わせた。婆羅門は太子の懐妊を予言した。釈迦 (梵語 Śākya) の入胎である。白い象には前世の釈迦が乗っていたのだ。前世の者が新しい人生を始めるために胎児になって次の世界の母体に移ることを入胎という。

 摩耶は出産のために里帰りすることになり、帰路の途中で出産した。国中が穏やかで、花があちこちに咲き乱れていた。無憂樹 (むうじゅ) の花が咲き誇る藍毘尼園 (ランビニおん / 梵語 Lunbini) で一休みして、沐浴したあとに、花を一輪とろうと腕を伸ばしたとき、右脇腹から釈迦が生まれてきた。生まれたばかりの釈迦は、四方に七歩ずつ歩いたあと、右手のひとさし指を天に、左手のひとさし指を地面に指して、「天上天下唯我独尊」と宣言した。


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Sunday, January 29, 2012

white elephant

white elephant 

--- Word DNA --------------------------------------- 

1607 noun “albino elephant, respected in some Asian Buddhist countries.” figurative use “possession, plan, etc., which is useless or burdensome but costly (for maintenance, management, etc.).”



ETYMOLOGY
 
The figurative sense came from a Siamese custom that the king made a present of a white elephant to an unpleasant courtier, who the king wanted to ruin. The white elephant was highly respected & the recipient had to treat it with a great care.
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

white elephant は厄介な財産などを指す比喩。昔、シャム、即ち、タイの王は問題のある家臣がいると、白い象を贈っていた。白い象は聖獣であるから、乗るだとか、何かを運ばせるだとか、とにかく労役に使うことは許されなかったのだろう。しかし、象であるから餌は沢山食べる。英語話者がこのエピソードを聞いて、白い象に「(維持・管理に) 費用が嵩む厄介な (役に立たない) 財産」の比喩的な意味を与えた。

白い象は仏教国では、釈迦の誕生にまつわる伝説に登場する聖獣である。

related leaves
mammoth
white


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タイの仏教


Saturday, January 28, 2012

The Worth of Something

Thomas Fuller (1608-1661), English churchman and historian, gives us his wisdom through his writings. This is a quotation for us who are apt to forget the worth of something:
We never know the worth of water till the well is dry.

井戸が枯れるまで水のありがたさには気づかないものである。
(トマス・フラー)

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Thursday, January 26, 2012

spoony

spoony
 
--- Word DNA --------------------------------------- 


1795 noun “fool, simpleton, idiot.”

1812 adjective “foolish.”

1828 adjective “foolishly amorous, crazy.”

1857 noun “foolishly amorous person.”


ETYMOLOGY



spoon “simpleton, fool” + -y (adjective-forming suffix)

----------------------------------- 言葉の遺伝子 ---

スプーンが多くを汲み取れないからか、それとも、莫迦な人はスプーンの取扱いが下手だからか、あるいは、汲み取る部分を上に向けて立て人に見立てたとき、汲み取る部分の頭が中空だからか、あるいは、まったく別の発想からかもしれないが、spoon には「ばか」の意味があった。-y は形容詞を作る接尾辞である。形容詞は統語上のルールで名詞化するもある。従って、spoony の本義は「浅はかな (もの)、ばかな、たりない、上の空の」である。
She said with a spoony look.
彼女はぽかんとした様子で言った。
 一方、spoon には動詞で「抱き合う、いちゃいちゃする」という意味もある。この意味は「ともにならんでスプーンのように膝を曲げて寝る」という動詞の意味から発展したものかもしれない。この動詞の意味を引きずっている spoony には「すけべな、いやらしい、ぞっこんほれている」といった意味がある。
He’s not actually in love with you, but only spoony.

あいつはあなたを本当に愛しているわけではなく、したいだけなんだ。


He was spoony for Kate.

彼はケイトにぞっこんであった。



Wednesday, January 25, 2012

hors d’œuvre

hors d’œuvre

--- Word DNA ---------------------------------------
1742 noun “small dish as an appetizer, especially one served before the main course of a meal.”
1783 noun “something as an appetizer outside the main course.”



ETYMOLOGY
French “outside the work.” Related to inure. (Ses omnibus)

------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

「前菜、オードブル」のこと。 仏語 œuvre は「仕事、作業、作品」などの意味であったが、フランス人にとって食べることが「仕事」なのか、コース料理が仕事の結果として出来上がった「作品」なのか定かではないが、オードブルという言葉の中では、メインコースのことである。

オードブルの起源はロシアにあるという。ロシアは国土が広く、長い冬の気象は厳しいので、貴族の晩餐会などで、予定通りの時間までに訪問できない場合が多かった。そこで先に到着して待っている人たちは、キャビアなどの肴をつまみながらウォッカを飲んで談笑しながら、遅れて来る人達を待つ習慣ができた。全員が揃ったところで、ホストは正式な食事を提供していた。やかでこの習慣はキャビアと共にフランスに伝来した。

仏語 œuvre は英語では inure の後ろの方の -ure と同源である。

仏語 hors de は前置詞句で、「〜の外の」を指す。名詞となった hors d’œuvre は料理以外にも用いられ、「序説、端緒、付け足し、蛇足」などの意味を持ち、英語でも探せば、この意味の用法が見つかるだろう。OED には一七八三年の用例一例が載っている。また OED は、一八七七年の料理以外に使われた比喩の用例を採録している。


飲食に関する言葉


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フランス料理

Tuesday, January 24, 2012

世界の音 民族の音


『世界の音 民族の音』
江波戸昭 (えばとあきら) 著

世界の音楽や楽器にまつわる文化的背景を記した本。シルクロードを東から西に向かって進みながら、各民族の音楽の紹介をしている。そして、ヨーロッパを終えたあとはアフリカに飛び、マダガスカルを経由して最後はオーストラリアのアボリジニーのドリーミングについて紹介してくれている。近代以降、欧米人によって、サハラ以南もオーストラリアも、それにもちろん、南北アメリカ大陸も一つにつながったが、それ以前はばらばらに発展したことが、音楽の側面からも認識できるのはこの本のお陰である。ユーラシア大陸においては東のはずれの島国の三味線や琵琶から、中国の三絃、インドのシタール、ロシアのバラライカ、アラブのウード、ヨーロッパのギターやリュートの類まで、すべてつながっているようである。ペルシャや中央アジアの聞きなれない名前の弦楽器についてもいろいろと紹介されている。大航海時代以降は、弦楽器は海を越えてチャランゴやウクレレとなり、バンジョーとなる。残念だったのは、中国の二胡や琉球の三線についての言及がないことと、いかんせん紙の本ゆえ音が出ないことである。いろいろな楽器や音楽の紹介があると、聞いてみたくなるのが自然な欲求というものだ。

ユーラシア・シルクロードのセクションで印象に残っているのは、中国の雲南省の農耕民による天地開闢を垣根越しに歌い合う歌垣のことや、タタールの森の精シュラレの歌、カフカスにおけるアルメニアとアゼルバイジャンの音楽事情 (アルメニアは印欧語族でキリスト教の国だが、アゼルバイジャン同様に音楽ではペルシャの影響を受けているという。カフカスの吟遊詩人アーシュクについてはもっと調べてみたいと思う)。そして、ウィーンを包囲したトルコ軍の行進曲がヨーロッパにもたらした影響である。ヨーロッパに先んじてオスマン・トルコのイスラム勢力は、音楽が軍隊の士気を鼓舞することに気づいていたのだろう。トルコのラッパや太鼓の楽団は味方を奮い立たせ、敵に恐怖を与えるものだった。

シルクロードを西の果てまでいったあとは、アフリカの太鼓の紹介がはじまる。アフリカの太鼓はコミュニケーションの手段であり、物語や様々な知識を記録しておく為のツールであったという。おそらく、アフリカではこの太鼓文化が発達したので、文字が発明されなかったのだろう。アフリカの黒人を買った新大陸の白人たちは、アフリカの太鼓の力を怖れて黒人たちから太鼓類を取り上げたというエピソードも紹介されている。また、メモしておきたいことだが、スワヒリ語の ugoma は太鼓のほか、踊り、音楽、祭り、祝い事、儀式などの意味があるという。つまり、日本人が単に「太鼓」というのとは異なったものであるといえる。日本でも太鼓は魂の音などとたとえられ、祭り事にはかかせないものだが、具体的なメッセージ性は少なく、モールス信号のような通信機能も果たさない。また太鼓自体はお祭りの意味にならない。

西アフリカにはグリオと呼ばれる楽士がいる。グリオというのはフランス人が名付けたものという。熱帯雨林地帯にいるのは太鼓グリオであり、サバンナにいるのが語りグリオだという。現代のグリオ音楽は民族の固有性や原初性が薄れ、ポップス化しているという。要するに、欧米人の耳に心地良いように編曲されているのである。金にならなければ、レコーディングもコンサートツアーも成り立たない。

著者が最後に訪れたのはオーストラリアである。アボリジニーにとってのドリーミングとは何かについての解説がある。この本によると、現地人が英語でいうドリーミングとは、現地語でいうalchera (アルチェラ) のことで、先祖に関する記憶や歌を指す。記憶という言葉は使われていないが、独断で解釈するとアルチェラとは、アボリジニーの神話であり、その記憶である。アボリジニーによると、人間はトーテムと呼べる動植物から転化してきたというが、アルチェラはトーテムやそれ以降の重要なエピソードをすべて内含する。また、オーストラリアには弦楽器は伝わらなかったようだ。彼らの楽器は笛と打楽器である。打楽器といってもブーメランとスティックを叩き合わせるだけのシンプルなものらしい。アボリジニーはドリーミングを歌にして歌う。機会があったら、一度聞いてみたいものだ。

リズム中心の音楽は原初的な響きのもので、南北アメリカ、アフリカ、そして、オーストラリアに、有史以前に伝播したものらしい。

もうひとつ記憶にのこりそうな、ディジェリドゥと呼ばれるアボリジニーの笛の発祥伝説が記されているのだが、それについては、是非、この本を手にとって読んでもらいたい。

久々に本の感想を書いたつもりが、感想というよりは紹介のようになってしまった。

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Monday, January 23, 2012

ウェールズの年越しの様子

ウェールズの年越しの様子は次のようなものであるという。

ウェールズでは毎晩時報として深夜十二時に鐘が十二回鳴らされる。大晦日も例外ではなく鐘が鳴る。十二回鳴らされる鐘の一発目が鳴ると、行く年を追い出すために裏戸を開ける。このとき、運が一緒に出ていかないように、二発目がなる前に素早く裏戸を閉める。それから、十二回目の鐘と同時に玄関を開けて新年を迎える。

Las Uvas de la Suerte (スペインの行く年来る年)
湯圓 (中国春節の縁起物料理)
(中国春節の縁起物「倒福」)


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Sunday, January 22, 2012

dog-eat-dog

dog-eat-dog

逐語的邦訳
犬が犬を喰う。
(弱肉強食)

犬は英国では人間の最良の友 (man's best friend) というくらい身近な動物だから、犬にまつわる慣用句も無数に作り出されてきた。この表現は熾烈な競争の様子を喩えるのに用いられる。
You may know that you can no longer live in a dog-eat-dog world.
弱肉強食の世の中じゃあもう生きていけないってことさ。

鎬を削る
弱肉強食


Thursday, January 19, 2012

bien-pensant

bien-pensant
 

--- Word DNA --------------------------------------- 
1923 adjective "right-thinking, orthodox, conservative, self-righteous.” noun “bien-pensant person.”

ETYMOLOGY
French, bien “well” + pensant “thinking”


PREFIX
bien-
bien-entendu “well heard or understood; of course.”
bien-
être “well-being, ease, comfort.”
bienvenue “welcome.”
 
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

フランス語で「よく考えること」を意味し、三音節の母音部は鼻音で発音する。英語になったのは二十世紀のはじめで、「よく考えること」は「正しく考えること」であった。派生義は「正統な」と「保守的な」である。
In middle life he became more bien pensant.
人生も半ばにさしかかると彼はますます保守的になった。
人の見方・感じ方はさまざまだから、保守的なことを「独善的」ととらえる人もいて、その意味も生まれた。

pensant は penser 「思う、考える」の現在分詞形。-ant は -ing に対応し、形容詞・名詞を形成する (例: assist → assistant)。またパスカルの『パンセ』 ( pensées ) は名詞の複数形で、英単語だと thoughts と同意である (過去分詞 pensé + 女性名詞印 -e- + 複数印 -s)。bien は、料理がおいしいときなどにいうトレビアンビアンである。

仏語から英語に借用された bien がらみのフレーズはほかに bien-entendu 「しかと聞いた (よくわかった) →もちろん、当然」と、bien-être 「居心地が良いこと、快適、満足、安心」などがある。entendu の不定形は entendre で、「聞こえる、わかる (= to hear or understand)」の意味であり、être はbe動詞不定形、または、名詞 being に相当するものである。

 bienvenue は、今では英語圏で使われることはほとんどないが welcome!「よくお越し下さいました → いらっしゃいませ、ようこそ」の意味である。
 

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フランス語
French

Monday, January 16, 2012

Aurora musis amica

Aurora musis amica
--- Ancient Roman Proverb

word-for-word translation
Dawn, to Muses, friend.

general translation
The dawn is a friend of Muses.

corresponding English proverb
The early bird catches the worm.

逐語的邦訳
暁、詩の女神たちの友。
(早起きは三文の得。)

テン語のことわざはロマンティックな表現だが、日本ではもっと直接的に早起きは三文の得という。英国では、早起きの鳥は虫をとるという。鳥のことわざの由来はわからないが、自然を観察していて発見した法則なのだろう。

ラテン語 Aurora は「暁、曙」のことだが、神格化して女神にたとえられていた。薔薇色の指のサフランの衣のがその形容辞である。対応するギリシャの女神はエオス (Eos) で、太陽神ヘリオス (Helios) が空を駆ける前に東の空を染めながら駆け抜ける女神であった。アウロラが、極地方面で見られる夜の光のカーテンのオーロラになったのは、空を染めることからだろう。北極付近で見られるオーロラは、今日の英語では northern lights または aurora borealis といい、南極付近で観測できるものは southern lights または aurora australis という。ただし、aurora の英語の初義は「暁、曙」である。暁の涙 (aurora’s tears) は「朝露」を指す風流な表現である。

ラテン語の auroraaurum (語幹は aur-)  「金 = ゴールド」と頭が同音であり、また、oreos 「口」の奪格である。朝と金 (ゴールド) を結びつけて、朝は口に金をくわえている (The morning has gold in its mouth) という古代ローマから欧州各国に伝わったことわざもある。

ムーサ (羅 Musa = 英 Muse) は、詩の女神で、一般的には九人いるとされている。music は「ミューズ (英名) の技」であり、museum は「ミューズの館」である。

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Sunday, January 15, 2012

書不尽言、言不尽意

書不尽言、言不尽意

読み下しでは、書は言 (ゲン) を尽くさず、言は意を尽くさず。『易経』に由来するフレーズ。書物は言いたいことを書き尽くしていないし、言葉は意志を伝えきれない。

中国の古典は、書が不完全で伝えきれないことを示しているにすぎないけれども、キリスト教の書物は、書は不完全であるが故に、不信なものと説く。スピリット (霊) が文字として刻まれると、それはもはや怪しい危険なものになるのだ。モーセの石板よりも肉をもって行動したイエスの方が真理を著している。『コリント人 (びと) への第二の手紙』三章六節には ----- the letter killth, but the spirit giveth life... (KJV) ----- 文字は殺すが、霊は生かす、と記してある。もちろん、聖書も書物の一種にすぎないのだが。

 コリント人へのアドヴァイスは極端な例といえるけれども、どのような書物であれ、大なり小なり、行間には作者が語り尽くしていないことが書いてあるわけで、それが見えてきたら、本当の読書といえるのかもしれない。

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Friday, January 13, 2012

Think about God's Existence

A theory of Epicurus, ancient Greek philosopher, says that the universe is only a space where atoms are moving. He may have preferred the scientific method to the spiritual inspiration. He tried to find any logical proof of God's existence:
Is God willing to prevent evil, but not able? Then he is not omnipotent. Is he able, but not willing? Then he is malevolent. Is he both able and willing? Then whence cometh evil? Is he neither able nor willing? Then why call him God?
神は悪を防ぐつもりはあっても防ぐことができないものとしてみよう。すると神は全能ではないことになる。できるのにやるつもりがないとしてみよう。すると神には悪意があることになる。できるし、なおかつ、やるつもりもあるとしてみよう。ならば、悪はどこからくるのか。できもしないし、やるつもりないとしてみよう。とすると、どうして神と呼べるのか。
(エピクロス)

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エピクロス
Epicurus

酩酊

酒に酔うこと、つまり、酩酊は、日本の感覚では、神様のなせる業と考えられていた。ユダヤ教徒とイスラム教徒は戒律によって飲酒が禁じられている。一神教は言うまでもなく万物の創造主以外を神とは認めず、日本流にいう八百万の神々は、何か人々を惑わす邪悪な存在と見なされている。

以上のことを漠然と考え合わせると、酩酊は (多神教の) 諸々の神々の仕業という考え方は、かなり古くから、しかもかなり広い地域にあったのかもしれない。

関連
http://songbyriver.blogspot.com/2012/01/blog-post_10.html

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酒の歴史

Tuesday, January 10, 2012

お神酒上らぬ神はない

お神酒上らぬ神はない

どの神様にも酒はお供えしなければならない。正月、お祭り、建前、結婚、とむらい、エトセトラエトセトラ。どの行事にも神様がおられるから、その都度酒は飲まねばならない。

これは飲兵衛からすると、金科玉条。というよりは、きっと飲兵衛が考案したことわざなのだろう。神様にお供えした酒は飲んでこそご利益があり、けして粗末にしてはならない。

西洋では、パンはキリストの肉であり、ワインはキリストの血である。最後の晩餐でイエスが使途たちにそう告けげたことに由来している (たとえば、ルカ二十二章十九〜二十節)。 

西洋では (またはキリスト教では、) 儀式と日常の距離の開きが、日本の場合よりも大きいのかもしれない。教会での聖餐式のあとに、その延長として宴会 (パーティー) を開いたりはしないだろう。

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日本のことわざ
Christ and Wine
 


Thursday, January 05, 2012

baldachin

baldachin

--- Word DNA ---------------------------------------
16th century “luxury brocade or canopy.”

ETYMOLOGY
Italian baldacchino, from Baldacco “Baghdad.”
Baghdad  (the capital of Iraq, now) is the home of baldachin.
------------------------------------ 言葉の遺伝子 --- 

英語の初出は十六世紀。「金襴、錦、(玉座や祭壇の) 飾り天蓋」の意味。
a splendid Byzantine baldachin supported by pillars of
Scotch granite.
スコットランド産の御影石の柱に支えられているすば
らしいビザンチン様式の天蓋。 
オリジナルのものは絹や金糸でできたものであった。発祥地はバグダッドであったから、イタリア人は「バルダッコ (バグダッド)」と呼んでいた。baldaquin などとも綴るが、それはスペイン人やフランス人の影響。baldacchino はイタリア語の語形だが、まれに英語使用者も用いる。

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バグダッド



Tuesday, January 03, 2012

臥薪嘗胆

臥薪嘗胆

中国の故事成語 (ピンイン: wòxīnchángdǎn)。薪に臥す者あり、胆を嘗める者あり。堪え忍ぶことをいい、日本では報復する目的で堪えているさまを喩えるが、中国では目的を達する為に堪えるさまをいう。このフレーズをつくったエピソードにより忠実なのはむしろ日本の使い方である。

呉と越は、呉越同舟というフレーズで馴染み深いように仲が悪かった。紀元前六世紀、中国は春秋戦国時代で、両国は交戦状態であった。

あるとき、呉の王の闔閭 (コウリョ) は越に攻め込んだが、迎えた越の王・勾践 (コウセン) の軍隊の前に敗れ去って戦死した。跡をついだ呉の太子・夫差 (フサ) は、父の仇をとる為、薪に臥して痛さに堪え、復讐を誓った。

やがて英気を養った夫差の軍勢が再び越に攻め込み、今度は勾践の軍が敗走することになった。会稽山で降伏した勾践は、越に帰ることが許された。勾践は吊した苦い胆を毎日嘗めて屈辱を堪え忍び復讐を誓った。

国力を整え、策謀を巡らして、勾践は報復の機会をうかがった。そして、服従するふりをして美女の一団を献上した。この計略は功を奏することになる。美女の中には中国史上の四大美女に数えられている西施が混じっていて、呉の夫差は西施に首ったけとなり、国を傾けてしまうからである。頃合いを見計らって越軍は呉に進軍し夫差を倒した。会稽山の雪辱を晴らしたこの出来事から、会稽の恥を雪ぐという慣用句ができた。

紀元前六世紀のこの一連の出来事は、紀元後十四世紀前半に成立した『十八史略』に描かれている。

春秋戦国時代にできた言葉
牛耳る

西施絡みの投稿
首を取り換える中国の怪談 (西施がらみ)
情人眼中出西施


Sunday, January 01, 2012

一石二鳥

一挙両得と同意の四字成語。しかし英語から翻訳されたものである。
to kill two birds with one stone.
フランスの慣用句では、一石二打という。
faire d’une pierre deux coups. 
ドイツでは、鳥ではなく、二匹の蠅を一撃で仕留めることをいう。
zwei Fliegen mit einer Klappe schlagen.
  イタリア人は罠を仕掛けるのか、一粒の豆で二羽の鳩をとるという。
prendere due piccioni con una fava.
中国人は、一箭 (矢) で二羽のタカをとるという。
一箭双雕
Yījiànshuāngdiāo
ロシア人は、一打で二兎をとるという言い方をするらしい。

二兎を追う者は一兎をも得ず

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