靡不有初
鮮克有終
初め有らざるは靡 (な) し
克 (よ) く終わり有るは鮮 (すく) ない
靡しは否定の「なし」、鮮なしは数が少ないというときの「すくない」と同じ。終わりが有るの終わりは、単にジ・エンドがあるということではなく、完璧に仕上がって終わるの意味である。end の類語でいうと goal / accomplishment あたりがしっくりくるだろう。
アマゾン探検
Words have their stories as men have their ones.
人に物語があるように、言葉にも物語はある。
Words fly from place to place & travel from time to time, changing their shapes & senses...
言葉は姿や意味を変えながら、国から国へと飛んでいき、時代から時代へと旅をする。
靡不有初
鮮克有終
初め有らざるは靡 (な) し
克 (よ) く終わり有るは鮮 (すく) ない
We never know the worth of water till the well is dry.
井戸が枯れるまで水のありがたさには気づかないものである。
She said with a spoony look.一方、spoon には動詞で「抱き合う、いちゃいちゃする」という意味もある。この意味は「ともにならんでスプーンのように膝を曲げて寝る」という動詞の意味から発展したものかもしれない。この動詞の意味を引きずっている spoony には「すけべな、いやらしい、ぞっこんほれている」といった意味がある。
彼女はぽかんとした様子で言った。
He’s not actually in love with you, but only spoony.
あいつはあなたを本当に愛しているわけではなく、したいだけなんだ。
He was spoony for Kate.
彼はケイトにぞっこんであった。
In middle life he became more bien pensant.人の見方・感じ方はさまざまだから、保守的なことを「独善的」ととらえる人もいて、その意味も生まれた。
人生も半ばにさしかかると彼はますます保守的になった。
Is God willing to prevent evil, but not able? Then he is not omnipotent. Is he able, but not willing? Then he is malevolent. Is he both able and willing? Then whence cometh evil? Is he neither able nor willing? Then why call him God?
神は悪を防ぐつもりはあっても防ぐことができないものとしてみよう。すると神は全能ではないことになる。できるのにやるつもりがないとしてみよう。すると神には悪意があることになる。できるし、なおかつ、やるつもりもあるとしてみよう。ならば、悪はどこからくるのか。できもしないし、やるつもりないとしてみよう。とすると、どうして神と呼べるのか。
(エピクロス)
a splendid Byzantine baldachin supported by pillars ofオリジナルのものは絹や金糸でできたものであった。発祥地はバグダッドであったから、イタリア人は「バルダッコ (バグダッド)」と呼んでいた。baldaquin などとも綴るが、それはスペイン人やフランス人の影響。baldacchino はイタリア語の語形だが、まれに英語使用者も用いる。
Scotch granite.
スコットランド産の御影石の柱に支えられているすば
らしいビザンチン様式の天蓋。
to kill two birds with one stone.フランスの慣用句では、一石二打という。
faire d’une pierre deux coups.ドイツでは、鳥ではなく、二匹の蠅を一撃で仕留めることをいう。
zwei Fliegen mit einer Klappe schlagen.イタリア人は罠を仕掛けるのか、一粒の豆で二羽の鳩をとるという。
prendere due piccioni con una fava.中国人は、一箭 (矢) で二羽のタカをとるという。
一箭双雕ロシア人は、一打で二兎をとるという言い方をするらしい。
Yījiànshuāngdiāo