インカ (Inca) はケチュア語で「王、帝、主、貴族 (king, emperor. lord, or lords; ruler, reling people)」の意味。十六世紀、侵攻して来たスペイン人たちは、クスコ (K: Qusqu, Qosqo / S:Cuzco / E: Cusco, Cuzco / 字義:「へそ」) を中心に細長い領土を有して栄えていた国を「インカ帝国 (Imperio Inca)」と呼んだので、その名が世界中にひろまった。今ではインカ帝国を建設した民も Inca 「インカ族」と呼ぶことがある。版図はペルー、ボリビア、エクアドルのほとんどとチリとアルゼンチンの一部であった。主要言語はケチュア語であった。
ケチュア語で「インカ帝国」は tawantinsuya であった。 tawa は「四」、-ntin は部分を指す接尾辞、 suyu は「地方、地域、県、国」である。日本列島の四国は当然国名ではないが、 tawantinsuya という命名法は四国の名付け方と似ている。
タワンティンスーヤは都のクスコを中心に東西南北の四方の地方、乃至、県によって構成されていた。
インカは宗教指導者であり、政界の上層部を占める人々であった。インカはマンコ・カパック (Manco Capac, c1022-c1107) とママ・オージョ (Mama Ocllo) の子孫である。マンコ・カパックは十二世紀初頭頃にクスコ王朝を建てた初代の王。伝説によるとインカ文明はインティ (Inti) と呼ばれた太陽神とママ・キリャ (Mama Quilla) と呼ばれた月の女神が、黄金の杖 (Tapaq Yauri = ターパック・ヤーリー) が地面に沈むところに、太陽の神殿を建てるようにと、マンコとその妹で妻のママ・オージョを指導したときから始まった。
またマンコはインカの伝説によると、パカリプタンボ (Pacarictambo) というところのタムボトコ (Tambotoco) という洞窟から出て来たという。神話によっては、マンコは日光を反射するマントを着けている。マンコには兄弟が三人、姉妹が四人いて ----- この八人は四組の夫婦でもあったらしい ----- 一緒に旅をしていた。あるとき洞窟に戻ると、兄弟三人は石になってしまった。生き残ったマンコは四人の姉妹と一緒に再び旅に出た。三人の男の兄弟はアンデスの神々である huacas をないがしろにしたので石にされたという。
ある伝承によると、マンコの部族は、現在ペルーの南東部に位置するチチカカ湖から北に向かい、黄金の杖が沈んでいく谷に着いた。杖が地面に沈めば、そこが世界のへそ、即ち、クスコだとインティより教えられていたマンコは、先住部族を統合して、「われはインティの子なり」と名乗り、神殿や畑の作り方を民に伝えた。
インティは生命を授ける神である。インカの人々は自分たちがインティの子孫であり、選ばれた子であると信じていた。
インカ文明には文字がなかったので、神話は口承て伝わったから、さまざまなヴァージョンがある。
支配者の神聖化はインカ固有ではなく、ユーラシア大陸でも見られる。日本の天皇も天照大神の子孫だといわれている。太陽神の信仰はほかにも広く見られる。太陽は光と熱をもたらしてくれるので、生命の営みにとって必要不可欠なものである。古代人が光合成のメカニズムや、それによる生態系全体に及ぼす影響を知っていたとは思えないが、太陽が生命を与えてくれるものという直感は正しいものであった。もし太陽が誕生しなかったら、地球も誕生せず、地球が誕生しなかったら、地球の生き物も誕生のしようがなかったのである。
選民思想はユーラシア大陸ではユダヤ思想が有名である。
月がもたらす、地球上の生命に対する役割についても古代人がどこまで知っていたのかは疑問だが、とにかく夜空で一番目立ち、定期的に満ち欠けする神秘性から、古代から広く崇拝の対象となったのだろう。