ケチュア語 (Quechua = 英語では最も標準的な綴り) は、現在、ペルー、ボリビア、チリとアルゼンチンの北部、コロンビア南部、エクアドルなど、アンデス山脈を中心に約一千万人の話者がいるという言語、あるいは、語族。英語の文献には十九世紀前半から登場。土地ごとに語彙と文法が異なり、方言の域を超えてそれぞれが言語と見なされている観点から、語族と捉える方が正しいという。ケチュア語族の言語の数は分け方によって異なる。(詳細については、『世界のことば小辞典』(柴田武編 / 大修館書店 - 1993) の p.175 参照) 但し、 Bolivian standard と Peruvian standard を二大方言 (dialects) と見なし、語族とは説明しない書物もある (Concise Compendium of the World's Languages -- by George L. Campbell, 2003)。
ケチュア人を「ケチュア」と最初に呼んだのはスペイン人である。OED によると、ケチュア語で、 Quechua は 「略奪者、破壊者」(plunderer, despoiler) の意味。また、ケチュア語には支配者階級が使う一般には知られざる inka simi 「王の言葉 (Lord’s language)」と、巷の日常生活で通用する runa simi 「民の言葉 (popular language)」があった。 inka は「王、支配者」を指す。runa simi が Quechua になったのは、スペイン人が統治権を握るようになった十六世紀からである。
かつてのローマ帝国の影響圏域にラテン語が普及したように、インカ帝国の影響圏域にケチュア語が浸透したが、両者には相違点もある。一五三三年にスペイン人がインカ帝国を滅ぼすと、早速、カトリックの布教活動が開始された。一五六〇年、スペイン人の宣教師トマス (Domingo de Santo Tomás) はクスコで話されていたケチュア語 (Cusco Quechua) を基に文法書を作成し、現地の共通語に位置づけた。スペイン語でインディヘナ (Indigenas = indigenous peoples) と呼ばれている先住民族に共通ケチュア語が浸透したのはインカ帝国の宗主国的立場にあったクスコ人によるものというよりは、別の大陸から侵攻して来たスペイン人の影響の方が大きかったというのである。先住民には文字がなかったので、文字はローマンアルファベットが採用された。スペイン人がスペイン語を押し付けなかったことは、布教活動には大いに役立ったのだろう。但し、スペイン式の綴り方は現地語に合致しないとして、原語に則した綴り方にすべきだとする人もいる。
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