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Saturday, April 05, 2014

野暮と化物は箱根の先

野暮と化物は箱根の先。
--- 江戸のことわざ

This is an Edo-folk saying in the Edo Period (1603-1867). Edo (now, Tokyo) was the Capital of Japan in Tokugawa’s time, where the lower-class citizen in the Edo caste, frank, good-natured & relaxing other people, developed a unique folk culture.  They insisted that monsters & insensitive people couldn’t exist in the great city of 808 streets, but in the country beyond Hakoné, a border town of Edo, where there was a sekisho (passport check-point) in that age,

れは江戸の民の言い草である。江戸は現在の東京だが、日本の都で、粋で鯔背でさっぱりとした士農工商の工商の階級の人々は独自の庶民文化をつくった。江戸っ子は化物と人の気持もわからぬやつは八百八町の大都会にいるはずがなく、いるとしたら、当時手形を検める関所のあった箱根の先の田舎にきまってらぁと言い張っていた。

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Proverb Data

word-for-word translation
Insensitive people and monsters are beyond Hakoné.

free translation
There are no insensitive people and no monsters in Edo.
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Friday, January 24, 2014

きんぴら

きんぴらは牛蒡やうどや人参や蓮根などを細長く切って炒めた料理。現代では炒める際に油を用いるが、昔は醤油などで煮詰めるだけのものであったという。語源は坂田金平だとされている。金平は坂田金時、即ち、金太郎の息子である。金平は豪快だが、無邪気な性格で、江戸時代の浄瑠璃では人気のあるキャラクターであった。より詳しいことは不明だが、金平牛蒡を食すと精が出るなどと、この料理の考案者が宣伝したためかもしれない。

きんぴらは料理の他にも、きんぴら娘などの用例があり、「板田金平のような元気な娘」を指した。



Tuesday, December 17, 2013

かぼちゃ

かぼちゃの語源は国名のカンボジアカンボジアはボルトガル語で Camboja であり、それが日本語になった。この野菜が日本に伝来した時、日本人のほとんどはカンボジアのことを知らなかったので、南瓜の漢字を充てたのだろう。実は秋、花は夏の季語。別名は唐茄子かぼちゃは唐から来たものでもないし、茄子でもないが、現代の落語家は古典を語る際、かぼちゃ唐茄子と表現する。江戸時代には唐茄子が庶民の通用語だったのかもしれない。

 南瓜は英語で squash という。米国では pumpkin と呼ばれる外皮がオレンジ色の種類を squash とは区別する。日本に入ってきた外来語としてはパンプキンの方が圧倒的に優勢なので、「英語で南瓜は pumpkin」が日本に定着した。

 パンプキンはハロウィーンのジャック・O・ランタンを作る材料である。

 ポルトガル語には abóbora という言葉があり、 pumpkin squash の両方を意味する。

 squash は瓜や瓢箪 (gourd) の仲間で、ズッキーニを指すこともある。

 ネイティブ・アメリカンのヒダーツァ族 (Hidatsa) はバッファローの肩甲骨で南瓜包丁  (squash knife) なるものを作っていた。

瓜・瓢箪に関する言葉
ゴーヤ
瓢箪から駒
河豚 (ふくべ = ひょうたん)


Sunday, September 29, 2013

ざっくり

ざっくりざくりざくざくと同じで、野菜類を切るときの音から作られた擬態語だろう。切られるものは固すぎず、柔らかすぎないもので、白菜などがあてはまる (白菜をざっくり切る... )ざくざくは重複であるから、連続で切るときの音。ざっくりざくざくは細かく刻む感じがせず、せいぜい乱切りの感じだから、「逐一、細大漏らさず、詳細に」ではなく、「大雑把に (roughly)」の語感がある (ざっくり言うと... )

 ざっくばらんは江戸時代の散髪と関係がある。髷をざっくりと切れば、髪がばらんと垂れる。切るだけて髷を結わないのは、ありのままにしておくことで、ざっくばらんなは「飾らない、装わない (natural, frank)」の意味になった。

Wednesday, September 04, 2013

猫に小判

猫に小判は、端的に言って、「のほほんとしている人にありがたいお宝を与えても無駄だ」というたとえ。小判は、一六〇一年 (慶長六年) より徳川家康の命によって鋳造されるようになったものだから、このことわざが鋳造されたのも江戸時代以降であると推定できる。

 西洋では豚に真珠を放るなというが、それはマタイ伝第七章第六節に由来していて、猫に小判より辛辣な印象がある。
(KJV)
Give not that which is holy unto the dogs, neither cast ye your pearls before swine, lest they trample them under their feet, and turn again and rend you.
神聖なるものを犬に与えてはなりませんし、真珠を豚の前に放ってもなりません。彼らが有り難いものを足で踏みにじり、翻ってあなた方を引きちぎってしまわぬように。

Tuesday, January 29, 2013

カルタ

カルタは、漢字では歌留多骨牌などと書くが、ポルトガル語の carta 「トランプ、カルタ (playing card)」が語源。 carta はほかに「手紙、運転免許書、海図 (letter; driver’s license; chart)」などを意味する。要するに、文字・数字・図柄などが示されている長方形の紙 (または、紙状のもの) である。カードは英語 (card) から借入された外来語で、語形の類似から察せられるように、カルタと同源であり、ラテン語の charta / carta 「パピルス (の葉)、紙 (papyrus leaf; paper)」からできている。一二一五年にジョン王がしぶしぶ制定した王の権限に制限を設けたマグナ・カルタ (Magna Carta) はラテン語で、字義どおりには、「大きな紙 (or パピルス)」のことであり、歌留多とは血のつながりのある言葉である。ラテン語の cartacharta は、更に起源が古く、ギリシャ語の χαρτης (khartes) から借入された言葉である。古代ギリシャ人はこの言葉をエジプトのコプト語から借入したらしいのだが、明確にはわかっていない。

 室町末期から安土桃山時代にかけて日本に上陸すると、カルタは様々な遊び札を指すようになった。西洋伝来のものは天正カルタ (天正は1573年から1592年まで)、百人一首を用いた歌貝をアレンジしたものは歌かるた、ことわざを用いたものはいろはかるたというようになった。江戸時代に考案された花札は花かるたといったが、賭博に使われることが多く、いうなれば、天正カルタをアレンジした 日本版トランプ” と呼べるものであった。江戸幕府は賭博を禁じていたので、胴元たちは一計を案じ、札から数値を消し去って、一年の各月を象徴する草花を描いた風流な遊び札を作り上げたのだった。
しかと (花札からできた言葉)
トランプ

Saturday, January 12, 2013

ちゃきちゃき

ちゃきちゃきちゃきちゃきの江戸っ子などというとき、生粋であることを指す (= pure)。この言葉は嫡々 (ちゃくちゃく) が転訛したものと言われている。という字は嫡流などと使われるが、嫡流とは「本家の血筋」の意味。言うまでもなく日本では長男が大将などと呼ばれ、家を継ぎ、父親の職を継ぐ伝統があるから、職人の間で有望な親方の倅をちゃきちゃきと形容していたのかもしれない。また、繁盛している商家の長男 (= ちゃきちゃきの御曹司) ともなると、小遣いもたっぷりで羽振りがよかったのだろう。将来性があることや気前が良いことを指す副次的な語義は、そういった状況下で醸成されたのだろう。



Thursday, January 10, 2013

大福帳

大福帳は「商家の帳簿 (account book)」のこと。江戸時代中期、江戸の日本橋室町に住んでいた鍵屋清左衛門は、帳簿を商っていたが、達筆な人だったので、あるとき、帳簿の表紙に「大福帳」と書いて発売してみることにした。これが縁起を担ぐ江戸の商人たちに受け入れられて大当たりした。やがて、商家の帳簿は一般的に大福帳と呼ぶようになった。当時は登録商標などというものはなかっただろうけれども、これは商品名が一般名詞になった例の一つといえる。

 清左衛門の息子平林淳信 (あつのぶ) は書家細井広沢に弟子入りして書家になった。

Saturday, December 22, 2012

勘当

勘当の原義は、「罪を法に照らし合わせること、判決 (judgement)」であった。やがて、「懲らしめること (punishment)」の意味が親子や師弟の間柄で用いられるようになり、最終的に「縁切り (disownment)」の意味になった。江戸時代には奉行所に届け出ることによって公式に親子の縁切りが成立していた。当時、吉原の遊郭に行く駕篭は勘当箱と呼ばれていた。遊郭に通うどら息子が勘当されることが多かった為である。


駕篭に言及した投稿
相棒

Saturday, November 24, 2012

たぬきそば 

たぬきは、天麩羅の具。つまり、「たねぬきの天麩羅そば」のこと。当初は胡麻油で揚げた烏賊の天麩羅がのっているそばであった。醤油の汁が黒っぽくて、真ん中に汁よりは白っぽい天麩羅があるわけだから、なんとなく狸の顔に見えたのかもしれない。また、衣が大きい割に中の烏賊は小ぶりであったともいい、食べた人はたぬきに化かされた気分だったのかもしれない、いずれにせよ、上にのせる天麩羅からはタネが完全になくなり、いわゆる「天かすそば」をたぬきそばと言うようになっていった。天かすのお店側の呼び名は揚げ玉である。

 江戸では、麺の上にごちゃごちゃのせないのを粋としていた。江戸っ子気質はシンプル・イズ・ベストで、たとえば、ねぎまは葱と鮪だけを入れて食べるのを粋とし、豆腐、春菊、椎茸などを加えるのを邪道とする。たぬきそば伊達の薄着的な江戸っ子気質を表しているといえる。江戸のそば屋は、具をけちったわけじゃあない、と言い張るだろう。

関連
小間板 (そば打ちの道具)
たぬき
食べ物に関する言葉


Tuesday, November 13, 2012

江戸いろはかるた

江戸いろはかるたのことわざ

月とすっぽん (or 月夜に釜を抜かれる)
老いては子に従え
嘘から出たまこと
鬼に金棒
安物買いの銭失い
貧乏暇なし

カルタ

月とすっぽん

月とすっぽんは、水面 (みずも) に写った満月も丸いし、すっぽんも丸いが、まったく違うものだから、「比べようがない」こと。漢語では、月鼈 (げつべつ)。類義の慣用句に雲泥の差がある。まず風流なものを先にいい、後から野暮ったいものをいうのは月とすっぽん、雲泥の差、ともに同じ。月とすっぽんは江戸いろはかるたの「つ」に割り当てられている。

 江戸後期の国学者で風俗研究家の喜多村信節 (きたむらのぶよ / ペンネーム筠庭 [いんてい],1783~1856 = 天明三年~安政三年) により記された『嬉遊笑覧』に解説がある。「月は丸きものなれど、丸と呼ぶスッポンとはいたく異なるるなり。」

 英語で類義の慣用句は、白いものを並べて比べ、 --- as different as chalk and cheese ---「チュークとチーズのように違う」という。

江戸いろはかるた
かめ、カメ、亀

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Monday, October 22, 2012

鬼に金棒

鬼に金棒は強い者が扱いのなれた武器を持つと更に強くなるというたとえ。江戸時代に成立した式亭三馬 (1776-1822) 作『浮世風呂』は湯屋を舞台とした落語的な読み物だが、その中に、鬼に金棒、弁慶に長刀 (なぎなた) という記述がある。江戸のいろはかるたの「お」に割り振られていることわざは鬼に金棒である。

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Tuesday, October 09, 2012

相棒

相棒は、もともとは、駕篭かきをいっしょにする人。江戸時代の庶民の駕篭は一本の棒に籠を吊るした乗物。籠のところにお客さんを乗せ、棒の前後を二人の駕篭かきが担ぎ上げて、お客さんの希望する場所に向かう。いわば人力タクシーだが、駕篭かき二人の息が合って足並みが揃っていないとうまくいかなかった商売なのだろう。時代劇や落語を信じるなら、かけ声は「エッ、ホッ、エッ、ホッ、エッ、ホッ。」 今では職業に関係なく「パートナー (partner)」の意味。特に親しく息が合う場合に用いる。

相のつく熟語
相槌

吉原に通う駕篭
勘当箱



PS: 『相棒』はよく見るTVドラマ

  











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Tuesday, October 02, 2012

働き一両考え五両

働き一両考え五両は、働くことによって得られる利益に対して、考えることによって新なな発想を生み出せば、得られる利益は五倍になると教える教訓。江戸時代、財政が傾いた米沢藩を立て直した九代藩主上杉治憲 (1751-1822 / 宝暦元年~文政五年の言葉。治憲は隠居後、鷹山と号したが、今はこちらの名前の方が一般的に広く知れ渡っているので、ここでも以下、鷹山と記す。

 為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけりも鷹山作であるが、鷹山は倹約、即ち、緊縮財政を徹底したのみならず、産業を育成して、藩の財政健全化を計った政治家であった。ケインズ以前にケインズ的発想でもって田んぼの造成や堤防工事といった公共投資も行い、更に養蚕業を勃興させ、新しい産業として米沢紬を生み出した。ほかに鷹山が興した事業は、鯉の養殖と甘露煮作り、紅花の栽培、藍染め、酒作りなどがある。

 一説によると、アメリカのケネディー大統領 (John F. Kennedy, 1917-63) は新渡戸稲造 (1862-1933) の『武士道』を通じて上杉鷹山を知り、あるとき、日本の記者に、尊敬する日本の政治家はと尋ねられた際、「上杉鷹山です」と答えたのだという。

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Saturday, June 30, 2012

江戸っ子気質

『粋に暮らす言葉』(杉浦日向子著) は、著者の生前の著作から名言を集めた本で、江戸に暮らした粋な人たちの気質を紹介している。

この本の通りなら、江戸っ子はおおらかで、楽天的で、ユーモラスで、どこか刹那的である。構成は、見出しと一文のセットで、一頁を成している。

学術的な研究ではないが、手軽に読めて楽しめる。


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Monday, April 09, 2012

おいてけぼり

いてけぼり、または、おいてきぼりは、置き去りにされること。江戸本所 (現東京都墨田区) の七不思のひとつに数えられている錦糸町を舞台にした怪談「置行堀」からとされている。錦糸町界隈の堀には、釣り人が釣った魚を「おいてけ、おいてけ」とせがむ妖怪がいたという。この妖怪は、話し手によって、化け猫であったり、化け狸であったりした。また、河童だという説もあった。
 「おいてけぼりをくらった」などと使うが、この語源説では、取り残される者が釣られた魚ということだから、いまひとつしっくりこない。しかし、落語などを通じて、洒落として使用されるようになり、それが語源になったのだろう。
 本所七不思議は、時代・編者によって、七つの話が異なるようで、七不思議とは言いつつ、現代に伝わる七不思議は七つ以上ある。


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江戸の怪談




Friday, December 30, 2011

東海道五拾三次

東海道五拾三次

文殊菩薩の勧めによって、年齢・性別・身分・信条などの異なる五十三人の善知識と呼ばれる人々を訪ね歩き、最後に普賢菩薩に出会って往生を願ったという少年を財善童子という。その遍歴の原話は『華厳経入法界品 (けごんぎょうにゅうほっかいぼん)』にある。普賢菩薩は善財童子に十大願を教える。

江戸時代の歌川広重の浮世絵『東海道五拾三次』は、財善童子のエピソードをなぞられているらしい。

但し、浮世絵は五十五枚ある。五十三の宿場に出発点の日本橋と終着点の京の三条大橋を加えてあるからである。

今では、東京京都間は新幹線で日帰りできる旅にすぎないが、当時は、大袈裟にいえば、人生そのものの歩みのような、なかなか実行できない遠大な旅だったことが想像できる。徒歩ではやはり五十日以上はかかったのだろう。参勤交代や飛脚や行商などのほかは、生涯に何往復もする人はほとんどいなかっただろう。そのため広重の浮世絵セットは人気を博した。

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