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Sunday, August 12, 2012

雨夜の品定め

(あまよ) の品定めは紫式部 (937-1014) の『源氏物語』帚木巻が出典。帝の忌みの日が続いたある五月雨の夜、帰宅せずに泊まり込みしていた光源氏と頭中将 (とうのちゅうじょう)、左馬頭 (さまのかみ)、藤式部丞(とうしきぶのじょう)の四人が女性経験や女性論を語る。陰暦で言う五月雨は今日の梅雨の雨にあたる。

 の字は会意で、サイを三つ並べた形。サイは祝禱を収める器。それを三つ積んであるのは種々の祝禱を合わせて行うこと。転じて、等級や種類を示す字になった (: 品種品物品質)。モノのみならずヒトにも用い、出自・性分・性格・礼儀作法などについて言及する (: 人品が卑しい / 品格がある)。モノ・ヒトともに本質的な中身を暗示させる字で、品定めは中身・本質・natureを論じるということである。清代の『説文段注箋』には、人の口三つから成る、の如く説明があるが、それは本来の字源ではないという (白川静著『字統』)

 さて、『源氏物語』に戻る。出だしでは、頭中将が源氏に女からの手紙を見せてくれと言う。はじめはこの二人だけがいて、頭中将はぱらぱらと源氏に届いた手紙を読んだ後、自身の女性論を展開する。頭中将によれば、上流階級の女性は大事に育てられたので、欠点も隠されるが、中流では、個性が保たれて育てられているからつきあっておもしろい、とのことである。ちなみに下流には、頭中将は興味がない。

 そうこうしているところに、左馬頭と式部丞がたずねてくる。

 特別な才能だの魅力的な器量だのは家庭の主婦に無用だ、と左馬頭はいう。役所での出来事など、こちらが話したいことを話したときには、耳を傾けてくれる妻が良い、という。まじめで素直のなのが良い。夫が浮気したときは、気付いていることは示し、無視もせず、執拗に追求したりもしないのが良い、という。左馬頭は、器量が悪く焼き餅焼きの妻がいやで浮気したことがあるが、自分にいろいろと気を使ってくれたのは、風流でおしゃれな浮気の相手ではなく、むしろこの正妻であったという思い出話をする。

 ここで頭中将は体験談をひとつ交え、人生のほかのことでもいえることだが、恋愛もまたしかりで、どんな女性も一長一短であり、完璧な恋愛はありえない、といった結論を導く。

 式部丞はインテリすぎる女性はいっしょにいると疲れる、といった話をする。

 一番若い (と思われる) 光源氏は独自の女性論を語らない。頭中将も光源氏にはふらない。

 この巻の後半部では、光源氏が「中の品」にアプローチする話が語られる。

 『源氏物語』は、英訳では The Tale of Genji という。英訳したのは、上代日本語や古代中国語に通じ、『老子道徳経』や『西遊記』も英訳したウェイリー (Arthur Waley, 1889-1966) である。

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Saturday, June 30, 2012

江戸っ子気質

『粋に暮らす言葉』(杉浦日向子著) は、著者の生前の著作から名言を集めた本で、江戸に暮らした粋な人たちの気質を紹介している。

この本の通りなら、江戸っ子はおおらかで、楽天的で、ユーモラスで、どこか刹那的である。構成は、見出しと一文のセットで、一頁を成している。

学術的な研究ではないが、手軽に読めて楽しめる。


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Monday, September 05, 2011

 委は女が禾 (か) をかぶって田んぼで舞う形を示す会意文字。禾は稲魂 (いなだま) を模したかぶりもの。舞うときは姿勢が低くしなやかであることから、委の意味はそれを連想させるものとなった。倭は委を声符とする形声文字。低くしなやかなさまを表現し、訓読みのひとつに「したがう」がある。
 今の字体からは想像しにくいが、男が禾をかぶって田んぼで舞う姿を表す文字は年である。男と女が田んぼで舞うのは、そのまぐわいを模して見せて、稲魂を刺激し、米の豊作を促すためであったと考えられている。
中国の古書で我が国の古名は倭と表現されている。古くは『漢書』にその用例があり、樂浪海中の倭人には百余国あり (樂浪海中有倭人 分爲百餘國)、などいった内容の記載がある。
 魏は、魏呉蜀三国の軍記物の『三国志』で曹操の国として知られているが、三世紀末に西晋の陳寿がまとめた魏呉蜀三国の歴史書『三国志』に、魏と倭のつながりを記した魏書東夷伝倭人条 (= 魏志倭人伝) と題されたチャプターがある。それによると倭国には、邪馬台国を中心として百余国あった。邪馬台国の世帯数は七万余戸で最大であった。そのほか、それぞれの国の官位や生業のことが書いてある。水行何日だとか、陸行何日、方位がどうの、距離が何里かなど、それぞれの国の位置関係が書いてあるが、現代の地図に対応させることは難しい。(邪馬台国は邪馬壹国と記されていた。壹は壱の原字であり、邪馬壹は「やまい」と読む。因みに、台の原字は臺である。)
 中国の歴史書は大方、前の王朝のことを書いたものであった。今のように、文書や人づての話ばかりではなく、写真・動画・音声・地図などの情報が集まり、移動が容易い時代であっても、平成の日本にいて、文化大革命が起きた頃の中国のことを正確に記述することは難しい。だから、晋の歴史家が一昔前の、まして、自分がいったこともない東の海の向こうの島々のことを正確に記すことはほとんど不可能なことであった。しかし、情報が他にないとなれば、それは大事な資料である。
 以上のことから、邪馬台国は未だに場所が不明で、その勢力図の正確なところもわかっていない。分かっているのは、卑弥呼と呼ばれる女王が統治していたこと、卑弥呼には夫がなく生涯独身であったこと、政治は鬼道と呼ばれる謎の呪術的儀式に則って行われていたこと、人前には姿を見せたなかったこと、実権を握っていた (か、あるいは、補佐していた) のは弟であったこと、南方にあった男性統治者のいる狗奴国 (くなこく) と対立し紛争もあったこと、死んだあとは大きな塚を作り、百人あまりの奴婢 (ぬひ) を殉葬したこと、等々である。倭国は卑弥呼が女王になる前にも混乱があったが、死んだ直後も混乱となった。臺與 (とよ / あるいは、壹與 = いよ) と呼ばれる新しい女王が即位して混乱は収束した。
 邪馬台の台の字 (臺) は「と」とも読むのは興味深い。邪馬台国が今の奈良県に出現する大和 (後述) と同じ国かもしれないからだ。
 しかし、女性がリーダーでないと混乱するという社会であるから、神道の天皇制とはやはり異質なのだろう。卑弥呼は人間社会では独身であったが、何かの宗教の神様とは結婚していたのかもしれない。その宗教が神道や外来のものに消化吸収されてなくなってしまったとなると、邪馬台国の真の姿は永遠に再現できないだろう。
 弥生時代から飛鳥時代になると、やまとは奈良に出現した。この国は間違いなく我々の知る天皇家を頂点とした国家である。国号「日本」は七世紀後半、つまり、朝鮮半島で起きた白村江の戦いとそれに続く日本列島内の内戦である壬申の乱のときのいずれかの時期に生み出されたものだろう。ただ、日本という呼称ができても、やまとは廃れなかった。
 八世紀初頭、女帝元明天皇の時代、倭は和と書き改められ、大の字を付加して、大和で「やまと」と読むようになった。倭の字では中国に侮辱されていると感じる人々もいたのかもしれない。
 それにしても、卑弥呼が現代まで続く皇統と血縁関係があるのかないのかについては、大いに気になるところではあるが、時の波がすべてを洗い流してしまっている。

夜這

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Monday, August 22, 2011

ひのもとの国「日本」

日本

 日は、原字が、丸みのある四角形 (正方形ぎみか?) の中に点ののような線を引いて、太陽の形を表す象形文字。訓読みでは「ひ、ひる、ひかり、さきに」
 本は、木に指示的な点を加えて、根本 (ねもと = こんぽん) を表した指事の字。本来、本籍などの熟語を作る意味が原義。ほん (book) はあとから付け加えられた意味である。訓読みでは「もと、はじめ、ほん」
 日が昇る国 ── Rising Sun
 中国から見て東に位置するから。
 倭国が日本と号するようになったのには、壬申の乱が関係しているのかもしれない。
 八世紀初頭、再開した遣唐使が、中国に、我らはもはや倭国にあらずして日本なり、と伝えた。

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