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Saturday, October 13, 2012

百足之虫、死而不僵

百足之虫、死而不僵 
(Bǎizú zhī chóng, sǐ ér bù jiāng,)

word-for-word translation
The centipede dies, but it doesn’t become stiff.

free translation
A person leaves his/her influence after death.
(He has not lived that lives not after death.)

逐語的邦訳
百足、死してこわばらず。

意訳
死んでも影響は遺す。

国の慣用句にはこの手のものがほかにもある。『三国志』のエピソードに由来する死せる孔明、生きる仲達を走らすや、 () は死して皮を留め、人は死して名を留むである。百足のたとえは、しぶとさを強調するものだろう。

 日本には、人は一代、名は末代がある。

 英語で類似のことわざは、死後に生きていない者は生きたわけではない --- He has not lived that lives not after death... --- である。





Tuesday, August 21, 2012

滄海の一粟

海の一粟 (いちぞく) は北宋の詩人蘇軾 (1036-1101) の『前赤壁賦』にある詩句。「人はあおい大海の一粒の粟にすぎない」と詠じたもの。この詩は蘇軾が黄州 (湖北省) に左遷されたときの作。ちなみにこの蘇軾が左遷された赤壁は長江の武漢の下流の北岸に位置し、三国志の有名な戦場の長江中流南岸の赤壁とは異なるところである。

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Saturday, June 02, 2012

首を取り換える中国の怪談

国清代の『聊斎志異 (リョウサイシイ)』には、嫁の首を美人のものと取り換える陸仙の話が載っている。『聊斎志異』は巷間に流布していた怪談を集めて書物にまとめたもので、編者は蒲松齢 (ホショウレイ: 1640-1715) である。蒲松齢はいうなれば中国版小泉八雲といえるだろう。

陸判は死後の審判を行う十人の判官の一人である。仲間にそそのかされて陸をこっちの世界に連れてきたのは怖れ知らずの朱という男で、朱と陸は酒を酌み交わすうちに親しくなっていく。ある晩、朱が先に酔って寝てしまうと、陸は心臓移植手術のようなことを行う。古代エジプトと同様に中国でも心臓が思考や記憶や感情と結びつけられて考えられていたらしい。朱の文才は見違えるほど向上した。(古代エジプトの最後の審判では、あの世の神々が死者の心臓の重さを計ることで判定を下していた)

やがて朱は、内臓が取り換えられるなら首も換えられるのではないかと質問した。陸は、もちろん、と答えた。朱は、妻の下半身は良いのだが、顔がいまいちなので、換えてもらいたいと頼んだ。陸は、いいとも、と答えた。

しばらくして陸は美人の首をどこからか手に入れて持って来て、眠っている朱の妻の首を匕首ですっぱっと切り落とした。首は瓜のようにごろりと転がり落ちた。陸は朱に切り落とされた首をどこかに埋めておくよう命じた。そして、妻の胴体に美人の首を取り付けた。

陸判の話はこのあとも続くが、中国における首を取り換えるモチーフについて見てみよう。

ブスの首と美人の首を取り換える民間伝承の話は古くからある。中国史上の四大美女といえば、越から呉に献上され呉が滅びる原因をつくったとされる春秋戦国時代の西施、和睦の為匈奴に差し出された前漢の王昭君、唐の玄宗の妃となり、自らの一族を次々に要職に就けて権勢を思いのままにふるった楊貴妃、そして、『三国志』で王允 (オウイン) の謀略に利用される貂蝉 (チョウセン) であるが、貂蝉の顔は本当は醜かったのだという。王允は華佗 (カダ) にそのことを相談すると、華佗は貂蝉の首を切り落として西施のものと取り換えた。

それにしても、首を取り換えても、人格が変わらないのは、心が心臓にあると考えられていたからなのだろう。近代になるまで脳の役割は解明されなかったようである。

首を取り換えるきっちょむ話
臥薪嘗胆 (西施がらみ)
狐仙 (『聊斎志異』)

情人眼中出西施

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Monday, September 05, 2011

 委は女が禾 (か) をかぶって田んぼで舞う形を示す会意文字。禾は稲魂 (いなだま) を模したかぶりもの。舞うときは姿勢が低くしなやかであることから、委の意味はそれを連想させるものとなった。倭は委を声符とする形声文字。低くしなやかなさまを表現し、訓読みのひとつに「したがう」がある。
 今の字体からは想像しにくいが、男が禾をかぶって田んぼで舞う姿を表す文字は年である。男と女が田んぼで舞うのは、そのまぐわいを模して見せて、稲魂を刺激し、米の豊作を促すためであったと考えられている。
中国の古書で我が国の古名は倭と表現されている。古くは『漢書』にその用例があり、樂浪海中の倭人には百余国あり (樂浪海中有倭人 分爲百餘國)、などいった内容の記載がある。
 魏は、魏呉蜀三国の軍記物の『三国志』で曹操の国として知られているが、三世紀末に西晋の陳寿がまとめた魏呉蜀三国の歴史書『三国志』に、魏と倭のつながりを記した魏書東夷伝倭人条 (= 魏志倭人伝) と題されたチャプターがある。それによると倭国には、邪馬台国を中心として百余国あった。邪馬台国の世帯数は七万余戸で最大であった。そのほか、それぞれの国の官位や生業のことが書いてある。水行何日だとか、陸行何日、方位がどうの、距離が何里かなど、それぞれの国の位置関係が書いてあるが、現代の地図に対応させることは難しい。(邪馬台国は邪馬壹国と記されていた。壹は壱の原字であり、邪馬壹は「やまい」と読む。因みに、台の原字は臺である。)
 中国の歴史書は大方、前の王朝のことを書いたものであった。今のように、文書や人づての話ばかりではなく、写真・動画・音声・地図などの情報が集まり、移動が容易い時代であっても、平成の日本にいて、文化大革命が起きた頃の中国のことを正確に記述することは難しい。だから、晋の歴史家が一昔前の、まして、自分がいったこともない東の海の向こうの島々のことを正確に記すことはほとんど不可能なことであった。しかし、情報が他にないとなれば、それは大事な資料である。
 以上のことから、邪馬台国は未だに場所が不明で、その勢力図の正確なところもわかっていない。分かっているのは、卑弥呼と呼ばれる女王が統治していたこと、卑弥呼には夫がなく生涯独身であったこと、政治は鬼道と呼ばれる謎の呪術的儀式に則って行われていたこと、人前には姿を見せたなかったこと、実権を握っていた (か、あるいは、補佐していた) のは弟であったこと、南方にあった男性統治者のいる狗奴国 (くなこく) と対立し紛争もあったこと、死んだあとは大きな塚を作り、百人あまりの奴婢 (ぬひ) を殉葬したこと、等々である。倭国は卑弥呼が女王になる前にも混乱があったが、死んだ直後も混乱となった。臺與 (とよ / あるいは、壹與 = いよ) と呼ばれる新しい女王が即位して混乱は収束した。
 邪馬台の台の字 (臺) は「と」とも読むのは興味深い。邪馬台国が今の奈良県に出現する大和 (後述) と同じ国かもしれないからだ。
 しかし、女性がリーダーでないと混乱するという社会であるから、神道の天皇制とはやはり異質なのだろう。卑弥呼は人間社会では独身であったが、何かの宗教の神様とは結婚していたのかもしれない。その宗教が神道や外来のものに消化吸収されてなくなってしまったとなると、邪馬台国の真の姿は永遠に再現できないだろう。
 弥生時代から飛鳥時代になると、やまとは奈良に出現した。この国は間違いなく我々の知る天皇家を頂点とした国家である。国号「日本」は七世紀後半、つまり、朝鮮半島で起きた白村江の戦いとそれに続く日本列島内の内戦である壬申の乱のときのいずれかの時期に生み出されたものだろう。ただ、日本という呼称ができても、やまとは廃れなかった。
 八世紀初頭、女帝元明天皇の時代、倭は和と書き改められ、大の字を付加して、大和で「やまと」と読むようになった。倭の字では中国に侮辱されていると感じる人々もいたのかもしれない。
 それにしても、卑弥呼が現代まで続く皇統と血縁関係があるのかないのかについては、大いに気になるところではあるが、時の波がすべてを洗い流してしまっている。

夜這

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