Saturday, December 31, 2011

Happpy New Year

The 1st quotation of this year is from William Blake's Laughing Song:
When the green woods laugh with the voice of joy
And the dimpling stream runs laughing by,
When the air does laugh with our merry wit,
And the green hill laughs with the noise of it...
緑の森が声をあげて笑うとき、
せせらぎがえくぼをつくりながら流れるとき、
空がぼくらの陽気な頓知を笑うとき、
そして、緑の小山がその音に合わせて笑うとき・・・
(ウィリアム・ブレイク)

Laughter can make us happy any time. All we need is to laugh naturally. 
I wish you happiness!

blind bard, "life is a joke" editor


PS: 年明け後に投稿したつもりだったが・・・

2012年が読者の皆さんにとって良き年になりますように。

Friday, December 30, 2011

東海道五拾三次

東海道五拾三次

文殊菩薩の勧めによって、年齢・性別・身分・信条などの異なる五十三人の善知識と呼ばれる人々を訪ね歩き、最後に普賢菩薩に出会って往生を願ったという少年を財善童子という。その遍歴の原話は『華厳経入法界品 (けごんぎょうにゅうほっかいぼん)』にある。普賢菩薩は善財童子に十大願を教える。

江戸時代の歌川広重の浮世絵『東海道五拾三次』は、財善童子のエピソードをなぞられているらしい。

但し、浮世絵は五十五枚ある。五十三の宿場に出発点の日本橋と終着点の京の三条大橋を加えてあるからである。

今では、東京京都間は新幹線で日帰りできる旅にすぎないが、当時は、大袈裟にいえば、人生そのものの歩みのような、なかなか実行できない遠大な旅だったことが想像できる。徒歩ではやはり五十日以上はかかったのだろう。参勤交代や飛脚や行商などのほかは、生涯に何往復もする人はほとんどいなかっただろう。そのため広重の浮世絵セットは人気を博した。

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東海道五十三次

Thursday, December 29, 2011

tetchy

tetchy

--- WORD DNA -------------------------------------------
HISTORY & SENSE
1592 adjective “easily irritated, touchy.”

ETYMOLOGY
Shakespeare's Romeo and Juliet (Act 1, Scene 3). Probably from Old French tache "mark, stain," from Vulgar Latin *tacca, *tecca, from Gothic taikns "mark, sign"; of Germanic origin.

PIE ROOT
*deik- / *deig- "to show or pronounce solemnly."


COGNATES
tetch noun "fit of anger."
tache French noun "mark, stain."
tache Scottish noun "blotch, fault."

* = reconstructed form

------------------------------------------ 言葉の遺伝子 --- 

tetchy は touchy と、音においてよく似ていて、意味においては、形容詞「すぐに怒る」で同じである。おそらくスコットランド方言の tache 「しみ、よごれ、吹き出物、きず、欠点、汚点」と語源的には繋がるだろう。 tetchy や tacheは古仏語 teche 「傷、汚点」に遡り、更に俗ラテン語からゴート語に遡る。


英語の初出はシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』第一幕第三場で乳母がジュリエットの乳離れを思い出して語るところにある。
NURSE
When it did taste the wormwood on the nipple
Of my dug and felt it bitter, pretty fool,
To see it tetchy and fall out with the dug!
 Shake, quoth the dovehouse!
おっぱいの先っちょのよもぎをなめなさり、
苦みばしったのを味わって、まあ、おバカさん、
むずかって、おっぱいを投げ出したとき!
ぐらぐらっと、鳩小屋が揺れましたのです!

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Wednesday, December 28, 2011

痩死的駱駝比馬大

痩死的駱駝比馬大
(Shòu sǐ de luòtuo bǐ mǎ dà)

word-for-word translation
Dying camel, than horse, big (strong).
(A dying camel is better than a horse.)

逐語的邦訳
痩せこけて死にそうな駱駝は馬より大きい。

中国のことわざ。痩せて死にそうな駱駝でも馬よりはまし。このことわざは中国西域の砂漠地方でできたものだという。どんなに衰えた駱駝でも砂漠をわたれるが、馬では途中で死んでしまうという経験則からできたものだろう。

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中国語のことわざ

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Saturday, December 24, 2011

omnibus

 omnibus

--- Word DNA ---------------------------------------
1829 noun “vehicle designed to carry many people; bus.”
1831 noun “something comprising or available for various things or people.” Also, adjective
1844  noun “book edited by collecting several works according to a theme or by an author.” [from omnibus book.]

ETYMOLOGY
French from Latin omnibus, dative plural form of omnis “all (people or things).” Bus, shortened form which appeared in 1832, came via omnibus from French phrase voiture omnibus “vehicle for all.”

FAMILY
optimum [Latin “best”]
opulent [Latin “wealthy, rich]
opus [Latin “work”]
opuscule [Latin “little work”]
opera [via Italian from Latin “work, labor”; from opus.]
soap opera / horse opera
operetta [Italian “little opera”]
operation [Latin verb stem operat- “done by work” + suffix -ation (forming a noun. denoting the action)
operate [Probably, the back formation of operation; operari (Latin) “to work” ; from noun opus;(→operari (Late Latin) “to have effect or cause”.]
cooperate [cooperari (Latin)  “to work together.”]
operose [operosus (Latin) “industrious.”]
officinal [officina (Latin) “workshop.”
copy [copia (Latin) “abundance, plenty.”]
copious [from copia.]
cornucopia [Latin  cornu copiæ "horn of plenty."]
maneuver [manus (Latin) “hand” + operari]
inure [en (Old French) “in” + euvre “to work”]
& all their derivatives

PREFIX
omni- “all”
omnifarious “of or related to all varieties.”
[omni- + fariam (Latin) “parts”]
omnipotent “having all abilities”
[omni- + potent- (Latin) “being able or powerful.”]
omnipresent “present everywhere at the same time.”
[omni- + praesentem (Latin) “being before.”]
omniscient “knowing everything”
[omni- + --scient (Latin) from verb scire “to know”]

SANSKRIT COGNATES
apas “work or religious action.”
apnas “possession.”

GERMANIC COGNATES
efnan (Old English) “to carry out or perform.”
(no descendants found in Present English.)
efna (Old Icelandic) “to carry out or perform.”
üben (German) “to practice.” [From Old High  German.]
obian (Old Saxon) “to celebrate.”

POSSIBLE COGNATE
ops (Latin) “wealth; strength, power; support.” (?)

PIE ROOT
*op- "to work or produce in abundance"

外来語
オムニバス
バス
オペラ
オペレッタ
オペレーション
コピー
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---


印欧祖語は *op- で「はたらく、たくさんつくる」こと。「たくさんつくりだす」という語義では、主語が人以外でも良いのだろう。つまり、「豊作である」などの意味もあったのだろう。ゲルマン祖語を通じて古英語になった efnan は、英語の語彙からは消え去った。「はたらく」ことを意味する現代英語は work であり、この単語は印欧祖語 *werg- 「おこなう、する (”to do”)」から発したものである。 *op- の根っこから出てきたゲルマンの枝で見出せる単語は、「担う、演じる、行う」などを意味するものである。ドイツ語の üben は「習慣にしている、慣れる、練習する、鍛える」ことである。

*op- の枝で一番太いのはラテン語の枝である。ラテン語 opus は「仕事 = 作品」であり、英語でもそのまま綴りで使われている。opus から生じた動詞に operari があり、英語では operate になっている。 operari と接頭語 co- 「共」がいっしょになると、cooperate 「共に働く = 協力する」になる。

operaopus の女性形名詞で「仕事」のほかに「労働、労苦」の意味であった。イタリアで「歌劇」の意味になり、のちに英語にも借入された。

copy は「複製をつくる」ことだが、多数にするということである。ラテン語 copia は「豊富、豊穣、ふんだん、、豊かさ、沢山あること、いっぱいあること」を原義にしている。具体的に財産が豊富にあることや兵力が整っていることなどを指していた。copious は形容詞で「豊富な」ことを指す。

p が f 化した単語には、ラテン語 officina 「仕事場」があり、英語 officinal の語源である。ラテン語では一般的に作業場全般を指すが、中世の俗ラテン語時代に薬剤師の仕事場を指すようになり、現代英語はその系統を受け継いでいる。

ラテン語の形容詞 omnis 「すべての」も印欧祖語の *op- からできている。語形の詳細な変化は不明だが、「たくさん→種々雑多にある多数の→すべての」と意味が形成されたのだろう。omni- という語幹部は接頭辞として、英語でも幾つかの単語を形成する。

omnibusomnis の複数与格形。十九世紀のフランス人が多数の人々を運ぶために、定まった経路をスケジュールどおりに巡る公共の乗物を提供したとき、その乗物を voiture omnibus、即ち、「みんなの乗物」と名付けた。おそらく、それ以前は、ブルジョア階級の人々しか馬車で移動することができなかったのだろう。フランスでは「各駅停車の列車、鈍行」のことを train omnibus と呼んでいたので、英国では omnibus train となった。

乗合馬車のサービスが英国でもはじまると、英国人は voiture の部分を省いて、omnibus とした。この単語は更に短縮され、最終的に bus となった。bus は、ラテン語時代には単なる活用語尾にすぎなかったものである。必ずし
も、omnibus が馬車で、bus がエンジンで走る乗合自動車というわけではない。乗合馬車やバスのドライバーや車掌は omnibus man とも呼ばれていた。

omnibus は、十九世紀から二十世紀のはじめ頃までさまざまな派生を見せたが、今では使われなくなった意味もある。
代表的な語義は、日本語にもなった「オムニバス」と、形容詞の「さまざまなものを含んだ、雑多な、包括的な、抱き合わせの、詰め込んだ」などである。これらの語義は、いろいろな人を運ぶ乗り物のイメージから、「いろいろとあつめたもの」であったり、「いろいろなもののためになるもの」であったりする。

omnibus = レストランなどでウェイターを補佐していろいろな雑用を担ったボーイ。

omnibus bill = 反対派の賛同を得る為にいろいろな条項を付け足した「抱き合わせ法案」

omnibus box = オペラハウスなどの「追い込み桟敷席」

omnibus journal = 種々雑多な事件を扱う雑誌、新聞の類。

omnibus ticket = 複数人が有効な切符。

一般的ではないが、動詞の意味としては、「乗合馬車で移動する、運ぶ」や「オムニバスにして出版する」などの意味がある。

Friday, December 23, 2011

Xmas Message

My readers for many years recognize that Jesus of Nazareth is a cat. Simon Peter and Andrew were the beloved disciples, because they were fishers. When your cat mews to ask & knock on the door, the door will be opened. Your cat doesn't worry about tomorrow. His kingdom is in his heart. God our Father once said through Isaiah's mouth that He would give us the cat, the Prince of Peace. Isaiah 9:6 reads:
For unto us a child is born, unto us a son is given: and the government shall be upon his shoulder: and his name shall be called Wonderful, Counsellor, The mighty God, The everlasting Father, The Prince of Peace.
私達に一人の子が生まれる。私達に一人の息子が与えられるのだ。そして、その政府を担うこととなる。その名はすばらしき者であり、助言者であり、力強き神であり、不死の父であり、平和の王子である。
Merry Christmas!

blind bard, life is a joke editor

Thursday, December 22, 2011

Nullus omnia scire potest

Nullus omnia scire potest

word-for-word translation
None, all, know, can.

general transtion
No one can know everything.

逐語的邦訳
誰もいない、すべて、知る、ことができる。
(すべてを知ることのできる人はいない。)

ラテン語のことわざ。

nullus は英語 null の語源で、ne ullus、即ち、not any「ひとつもない」から出来ている。

omniaomnis の中性複数主格・対格形 (このことわざでは対格) で、「すべてを」

scirescience の語源となった動詞で、「知る」こと。

potest (不定形 posse) は、「(影響力などの) 力がある 、能力がある、できる」ことを指す。「勢力がある、有力な、強力な」などを意味する英語の potent の語源であるが、機能的には can と同じ。ただ、can と異なり頻雑な人称活用がある。

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Wednesday, December 21, 2011

Sole et sale nihil utilius

Sole et sale nihil utilius

word-for-word translation
More than the  sun and salt, nothing beneficial.

general translation
Nothing is more useful than the sun and salt,

逐語的邦訳
お日様と塩より、なし、役に立つ。
(お日様と塩より、役に立つものなし。)

ラテン語のことわざ。

太陽 (主格 sol / 奪格 sole) が抜け落ちた文形もある。
Sole nihil utilius.
塩 (主格 sal / 奪格 sale) は味にアクセントを加えて風味付けるので、比喩的に「機知、ウィット」の意味にもなる。

 utilius の語形の変遷は —— utilis → utilius → utilitas —— であった。英語の utility 「有益、有用性、公共サービス、ユーティリティー」はこのラテン語からできている。

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Friday, December 16, 2011

Speak in a Foreign Language

It is nice to have a trip with Alice through the Looking-Glass, Lewis Carroll's 2nd Wonderland, where some reverse phenomena happen in strange ways. Remember that the Red Queen as a guide gives Alice an odd advice:
Speak in French when you can't think of the English for a thing.
英語で思い浮かばないならフランス語で話しなさい。
(ルイス・キャロル)
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portmanteau word

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鉄の杵も磨けば針となる

只要功夫深、铁杵磨成针
Zhǐyào gōngfu shēn, zhí chǔ mó chéng zhēn

「どこまでも磨き続ければ鉄の杵も針に成る」といったことを意味する中国のことわざ。唐代の詩人李白は、子供の頃、学業に興味を示さなかった。そんなある日、鉄の杵を一所懸命に磨いている老婆に出くわした。いったい何をしているのかと尋ねると、老婆は太い鉄の杵も磨いていれば、いずれは針に成るものだ、と返答した。


世界の三大呑兵衛詩人の一人と数えられる李白は、中国の教科書ではその出来事以来学業に励むようになったと記されているが、しかしその一方で、それとは正反対の性分も李白にはあった。後の西洋の作曲家マーラーを魅了する李白である。
處世若大夢
胡爲勞其生
世に處るは大いなる夢の若し。
なんすれぞその生を労するや。
「人生は長い長い夢のようなもの。あくせくしてもしょうがない」

因みに下戸の筆者が愛してやまぬ世界三大呑兵衛詩人とは、唐の李白、アッバース朝バグダッドのアブー・ヌワース、そして、セルジューク朝のペルシャ人詩人オマル・ハイヤームである。

黄鶴楼の鶴 (黄鶴楼は李白のお気に入りの場所)
叩き台 (鉄に関することわざ)

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オマル・ハイヤーム


Thursday, December 15, 2011

ばか

 ばかは、一説には、梵語で「無知」を意味する moha を音写したものという。僧侶の隠語で、漢字では慕何と書いていた。莫迦馬鹿は当て字。鹿を用いて馬鹿と記すものには、始皇帝の跡を継いだ皇帝が馬と鹿の区別も付けられないバカであった為というものや、馬と鹿の体のつくりを知らず、鹿は前脚に、馬は後脚に重心があるにもかかわず、いくらやってもコツをつかめず、こわいので馬の頸にしがみつくように乗っていつまでも乗馬が上達しない者をばかというなど、民間語源と思わせるものが多々ある。

 梵語由来説に反して、あほをこと単語家族を成すとする説もある。をこ烏滸がましいおこつるなどのおこである。烏滸がましいはどこか謙遜の意識でいう言葉であり、おこつるは、聞いたことはまったくないが、「だます、機嫌をとる」ことである。京言葉のをこ (woko) と関東のばか (baka) は一見対応しているようでもあるが、意味が重ならない。

 鳥取あたりには「あほ、ばか」といった罵り語に対応するほっこという言葉がある。また、中国四国地方にはぼっこーという方言があり、「とても」という意味であるという。これは、ばかでかいなどというときのばかと同系とされる。

 言うまでもなく、あほには「とても」の意味はない。ばかうまとはいってもあほうまとは言わないし、ばかに寒いとは言ってもあほに寒いとは言わない。大阪弁では「とても」の意味はめちゃ / めちゃめちゃを使う (めちゃうま / めちゃめちゃ寒い)


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大阪弁
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Wednesday, December 14, 2011

阿呆

阿呆はかつて阿房であった。阿房は始皇帝の阿房宮が語源。その荘厳さに周囲はあきれかえっていたのだという。中国語では親しみを込めた接頭語である。魯迅の小説『阿Q正伝』は、言い換えれば、「Qさんの伝記」となり、中国でも人気を博したというテレビ番組の『おしん』は、『阿信』と表記されていた。

阿呆はまた愚かなことを意味するおこ (をこ = 尾籠、烏滸、痴) からともいう。

芥川龍之介は『或阿呆の一生』と題する心象風景を書き散らかしてから自殺した。

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Tuesday, December 13, 2011

In vino veritas

In vino veritas

word-for-word translation
In wine, truth.

general translation
In wine there is the truth.

逐語的邦訳
酒に真あり。

このラテンのことわざはプリニウス (Pliny the Elder, 23 AD - 79 AD) の著作にあるという。酒に酔えば、本音で語り合うようになるといった意味である。

日本には、話百回、お茶十回、お酒一回ということわざがある。これは他人と親しくなるまでの回数を喩えている。会話だけなら、百編は会わないといけない。お茶会なら十回。だが、お酒の伴う宴会などの席なら一回で親しくなれるというわけだ。お酒が入ると本音で話すようになるので、すぐにうち解ける、ということだろう。酒は本心を表すは、露骨な表現でことわざらしくない。

表現の仕方は異なるが、西洋のことわざと日本のことわざは同じようなことを言っている。

仏語と独語のヴァージョンは以下のとおり。
français: La vérité est dans le vin.
Deutsch: Im Wein liegt Wahrheit.

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Monday, December 12, 2011

濫觴

濫觴は音読みで「ランショウ」、読み下し的には「觴 (さかずき) を濫 (うか) べる」 揚子江も源流はさかずきを浮かべるほどの小さな流れでしかないことを指して、物事の「始原 (beginning, origin, source)」を指す。『孔子家語 (ケゴ)』が出典。

 古代中国人は「はじまり」を川のはじまりに喩えたが、古代ローマ人は「卵 (ovum)」に喩えた。ラテン語の慣用句卵から (ab ovo) は食事のコースが卵からはじまっていたことに由来している。

 慣用句卵からの生みの親であるホラティウスはトロイア戦争の発端はレーダーのお腹の中の卵子にあると指摘している。つまり、歴史的出来事はその出来事の中の最重要人物が卵子の状態からはじまるというのである。

ab ovo

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Saturday, December 10, 2011

mawashi

mawashi

--- Word DNA ---------------------------------------
1940 “loin cloth of a sumo wrestler.”

ETYMOLOGY
Japanese.
The stem mawa-, probably akin to maru “circle, round,” forms:
mawaru “to move or go around; to spin”
mawasu “to put around”
mawari “circumference”
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

力士が身につけている「まわし」のこと。腰に”まわすもの”だから、「まわし」というのだろう。

He wore only a mawashi, the kind of silk loin cloth worn by sumo wrestlers.
彼は相撲取りが付ける絹製の腰巻きの一種であるまわしのみ身につけていた。
語根まわ-は自動詞まわる、他動詞まわす、名詞まわりなどを形成する。おそらく、まる (丸、円) と関係があるのだろう。

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当て事と褌は向こうから外れる

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相撲の歴史

Friday, December 09, 2011

Art or Freedom from Rules & Models

What's Art? What's Genius? In "On Taste" in Sketches and Essays (1839), William Hazlitt (1778-1830), English essayist, known as a Shakespearian, tells us his answer:
Rules and models destroy genius and art.
法則や型は才能と芸術を破壊する。
(ウィリアム・ハズリット)

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William Hazlitt
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Thursday, December 08, 2011

Petite et Accipietis

Petite et Accipietis
Latin Proverb

word-for-word translation
Ask, and you shall receive..

逐語的邦訳
求めよ、さらば、与えられん。

 ラテン語の決まり文句。聖書『ヨハネによる福音書』十六章二十四節から来た言葉。イエスの名において頼むなら、天の神は応えるであろうといった主旨のことが記されている。

 ラテン文は厳密に複数二人称に向けられて発せられたもの。というのも、petitepetere の命令法二人称複数形であり、accipietisaccipere の直説法能動態未来形二人称複数である。petere は「求める」ことを意味するが、語根 petit- から英単語 petition ができている。また、accipere からは accept ができた。

 欽定訳聖書 (KJV) では、「求めれば、与えられ、喜びは満ちるでしょう」 —— Ask, and ye shall receive, that your joy may be full... —— となっている。英訳聖書は  accept を使わず、receive を使っている。receive もラテン語に由来する単語で、 動詞不定形は reccipere である。acciperereccipere の後ろの -cipere は、動詞 capere からできている。この capere は英単語 capture の材料であり、ゲルマン系の単語でほぼ同意なのは、 take である。

Latin Index

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ラテン語
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Friday, December 02, 2011

What's An Empty Head


Eric Hoffer (1902-1983) was a longshoreman & philosopher in America. When he was 5 years old,  his mother fell down with him from a flight of stairs. 2 years later, he lost his eyesight. He stayed blind in his childhood, but he restored his eyesight at age 15 by some miracle. He became a voracious reader fearing he would go blind again. 
He says in his book Reflections on the Human Condition (1973):
An empty head is not really empty; it is stuffed with rubbish. Hence the difficulty of forcing anything into an empty head.
空っぽの頭はほんとうに中身が空っぽなのではない。空っぽの頭の中にはゴミがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。よって、空っぽの頭に何かを詰め込むことは困難なのだ。
(エリック・ホッファー)

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Wednesday, November 23, 2011

Sturgeon's Law


Sturgeon’s Law 

--- Word DNA --------------------------------------- 
1950s “proverb which says 90% of everything is crud.” 

ETYMOLOGY 
The original form “Nothing Is Always Absolutely So” is found in The Claustrophile (1956) by Theodore Sturgeon (1918–85), US Sci-Fi writer. He also commented on the proverb in Venture Science Fiction Magazine (September, 1957): “On that hangs Sturgeon's revelation. It came to him that s f is indeed ninety-percent crud, but that also—Eureka!—ninety-percent of everything is crud. All things—cars, books, cheeses, hairstyles, people and pins are, to the expert and discerning eye, crud, except for the acceptable tithe which we each happen to like.”
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

「九割はゴミ」という法則。SF作家のシオドア・スタージョンに因む。スタージョンは一九五六年に『閉所愛好症』を発表したが、その作中に「何事も必ずそうなるものではない」と書いた。これがスタージョンの法則の原形であるが、やがて批評家の批判をユーモラスに受け流す為に、「 九割はゴミ」(≒ ほとんどそうとはならない  ≒ 必ずそうなるものではない) という観念を打ち立てて公表した。スタージョンは『ヴェンチャーサイエンスフィクション誌』の一九五七年九月号では次のように論述している。 
スタージョンの啓示を掲げていることについて。SFなんてものは九割がゴミであるというが、ところが —— 私は発見してしまったのだが! —— なんでも九割はゴミなのだ。例外はない。車も、本も、チーズも、髪型も、人も、ピンにいたるまで、専門家にとっても、鑑識眼のある者にとっても、私達がそれぞれ好ましいと思って受け入れる一割のものをのぞけば、ゴミなのだ。
ことわざであるから融通がきき、crud の代わりに crap / rubbish / trash などを用いる別ヴァージョンもある。
Sturgeon's law. as pertaining to literature, is the "90% of everything is crap!"
文学にあてはまる、スタージョンの法則とは、何事も九割はゴミであるというものである。

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シオドア・スタージョン









Sunday, October 30, 2011

中世の終末論

 イスラムがイベリア半島を支配していた九世紀、後ウマイヤ朝の都コルドバで預言者ムハンマドとイスラム教を非難した一人のキリスト教徒書記が斬首刑にされた。当初、キリスト教徒たちはこの殉教者に同情的な態度をとったが、一部の人々がイスラム批判を続けると、支配階級のアラブ・イスラム側は、ムハンマドの非難者を次々に処刑し、キリスト教徒への圧迫を強化していった。当時、キリスト教徒は官吏にも登用されていたが、公職からは追放された。すると大勢のキリスト教徒たちは態度を翻して殉教者たちを非難するようになった。
 しかし、少数派は尚も殉教者たちの味方であった。後に聖人となったエウロギウス (英: St. Eulogius of Cordoba, 800-859) とその親友の詩人アルヴァルス (英: Alvaro of Cordoba) は強硬な反イスラム派の代表であった。一神教地域では、危機を間近に感じる人たちは終末論を説くものである。スペインの詩人アルヴァルスは、ダニエル書の預言を読み解き、独自の終末論を練り上げた。
 ダニエルは夢で未来を見た。そのことがダニエル書七章に記されている。そこで述べられている四頭の獣は、バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマの四大帝国であると解釈されている。二十四節と二十五節が、アルヴァルスの独特の解釈である。そこには「ローマ」の十本の角が出てくるのだが、それはローマを滅ぼしたゲルマン諸王であるという。そのあとにもう一人来る王を、アルヴァルスはムハンマドであると断定した。キリスト信者から見たムハンマドは偽預言者である。その王はいと高きものに逆らう大言壮語を発して、いと高き者の信者を疲弊させ、時代と法を変えようと考える。いと高き者の信者は三時半 (みときはん) の間、その王の手に落ちる。
 三時半 (ヘブライ語の逐語訳であるというKJV では —— a time and times and the dividing of time... ) は、なぜダニエル書がこのような言い回しをしているのかも意味不明だが、アルヴァルスは一時を七十年と換算したから、三時半は、即ち、二百四十五年間ということになる。イスラム教は西暦六二二年からはじまったが、アルヴァルスは六一八年からはじまったと主張していたから、八六三年にはムハンマドの帝国も終わると予言したことになる。八五二年、コルドバ回教王国の王アブド・アッラーフマーン二世 (Abd ar-Rahman II) が崩御して、ムハンマド一世 (Muhammad I) が即位すると、このアミール (イスラム王) がイスラム創始者の「偽預言者」と同一の名前であったから、そのことも終末論の展開に利用した。
 アルヴァルスやエウロギウスは、終わりが来れば、正しい者は救われ、いつまでも続く神の王国 (ダニエル七章二十七節) ができると信じていた。
 イスラムによると、イエスは神ではないし、三位一体そのものが出鱈目な言い草であるから、両者がこの点で歩み寄ることは絶対にない。


feet of clay (ダニエル書から生まれた慣用句)

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後ウマイヤ朝
コルドバ・アミール
Eulogius of Cordoba

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