Friday, March 30, 2012

One's Only Wealth

Life is the farce, says Rimbaud. Life must be lived as play, says Plato. Life’s but a walking shadow, says Macbeth of Shakespeare. What is it for you? Is it hard for you to live your life? Is it tough? If so, think of what John Wayne once said: “Life's tough. It's even tougher if you're stupid.” On life, John Ruskin, English art critic & essayist of the Victorian era, says in his economic essay Unto this Last (1862): 
There is no wealth but life.
 人生は茶番、とランボーはいう。人生は劇として生きねばならぬとプラトンはいう。人生は歩く影法師にすぎないとシェイクスピアのマクベスはいう。人生とは何だろう。生きるのはつらいことか? 難しいことだろうか? もしそうなら、ジョン・ウェインの言ったことを思い起こそう。「人生は厳しい。もし、莫迦にとってはなおさらだ」 人生についてヴィクトリア朝時代の評論家で随筆家のジョン・ラスキンは経済学論 Unto this Last  で述べている。
命の他に富はなし。

If you have health... 
(ジョン・ラスキン)

Tuesday, March 27, 2012

銀座の馬車オムニバス


一九二一 (大正十) 年に発表された淡島寒月の著述『銀座は昔からハイカラな所』に、明治初期に煉瓦通りを通っていたという英国製二階建て馬車のオムニバスに関する短い記述がある。

omnibus

青空文庫のファイル

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Monday, March 26, 2012

上戸毒知らず、下戸薬知らず

上戸と下戸の見解の相違を示すことわざを集めてみた。

上戸だと損をすることを喩えたことわざに、上戸めでたや丸裸がある。宴会で気持ちよく酒を飲んで裸踊りをしているうちはいいが、財産までなくして丸裸になってしまうのが上戸だという。お酒の好きな人は気をつけられたし。

酒で散在するにしても、それがいったいなんだといわんばかりの上戸側の反論のことわざに、下戸の建てたる蔵もなしがある。また、上戸からすると、下戸は肴ばかり食べているので、下戸の肴 (さか) 荒らしなどともいう。上戸からすると下戸は、甲斐性なしで食べ物に意地汚いということになるのだろう。

医学的にはアセトアルデヒドの分解酵素があるかどうかで上戸か下戸かが決まるが、民族的遺伝に関連するともいうから、中国人 (漢書「酒百薬之長」) は上戸が多く、日本人 (吉田兼好「酒は百毒の長」) は下戸が多いのかもしれない。

上戸に餅、下戸に酒は見当違いでありがたくないもののたとえ。

契約したり、何かを引き出す交渉をするときは、下戸より上戸の方が良い。 酒を飲むと気が大きくなるからである。下戸が相手のときは、下戸の手強という。

上戸にはいろいろなタイプがいる。笑い上戸泣き上戸怒り上戸など。下戸は感情を剥き出しにしないから、笑い下戸だとか、泣き下戸だとか、そういった慣用句はない。

英語では酒を飲む人は drinker、飲まない人は nondrinker であり、laughing drinker だとか weeping drinker といった言い回しはするかもしれないが、慣用句ではない。

関連

Saturday, March 24, 2012

上戸か、下戸か


酒は百毒の長ともいうが、百薬の長ともいう。前者は酒を嫌う者、後者は酒を好む者が言い出したことなのだろう。酒は百毒の長といったのは日本人の兼好法師で、原典は『徒然草』にあり、酒は百薬の長の捩りだという。酒を悪く言うのには大きく二つの人種があるだろう。一つは酒のもたらす害悪を目の当たりにしたり、耳にしたりしているうちに嫌になる人、もう一つは自分が飲んでみても気分が悪くなるだけで何の効用も認められない人である。 吉田兼好がどちらに属する人かはもはや探りようもないが、下戸だった可能性はある。

酒は百薬の長と言ったのは中国人の王莽 (オウモウ) であるという。 上戸であったか下戸であったは定かではないが、王莽は漢の元帝の皇后の甥であり、まじめな儒学者で、権力欲が強く、権謀術数に長けていた。中国では暴君・王位簒奪者・偽天子が皇位にある時、天変地異が起こる、と信じられていたが、呉承恩 (『西遊記』の著者は一人ではないかもしれないから「呉承恩たち」というべきか?) はこの伝承を利用して『西遊記』で孫悟空が山に封じられるまでに暴れていた時期を王莽の時代と設定した。というのも王莽は、平帝が皇帝のとき、この十二歳の皇帝を毒殺して、二歳の新皇帝を擁立し、実権を掌握からである。当初王莽は仮皇帝を名乗っていたが、西暦八年、「天命には逆らえぬ」と称して正式に皇帝の座に就き、漢にかわる新を立てた。新は国の制度として五大都市の物価を統制し、酒・塩・鉄・銭の鋳造・名山と大沢を国家管理とした五均六幹を掲げた。原典の『漢書』には以下の文がある。
夫鹽食肴之將、酒百薬之長、嘉會之好。鐵田農之本、名山大澤、饒衍之臧。
(
() れ鹽 (= ) は食肴の将、酒は百薬の長、嘉會 (= 嘉会) の好なり。鐵 (= ) は田農の本 (もと)、名山大澤 (= 大沢 ダイタク) は饒衍 (ジョウエン) の臧 (ゾウ) なり
「塩は料理の基本であり、酒は薬の中の薬として、めでたい宴会にはよろしいもの。鉄は田畑を耕す基本の器具になり、大山や大きな沢・水の流れるところは、獣や魚がたくさんいる蔵である。」

王莽の統制経済は、結局、身内贔屓の役人の管理の下、腐敗していき、多くの民の生活が困窮することとなり、 ついには反乱が起きて、西暦二十三年、王莽は惨殺されて新は滅んだのであった。

上戸毒知らず、下戸薬知らず
食べ物に関する言葉
『平家物語』が引く王莽の名

Thursday, March 15, 2012

旅を住処とした女


旅を住処とした女 (ひと)

林芙美子は旅を住処とした人であった。代表作『放浪記』ばかりではなく、魅力的な文は数多くあるが、旅や旅を連想させる作品は多い。また、命についてもスリリングに扱う人であったと思う。

摩周湖へ旅行したのは、樺太からの帰りであった。『摩周湖紀行』には次のような文がある。
硫黄山には樹木が一本もなかつた。それなのに、中腹の柵の中には保安林と書いてあつた。どつとんどつとんまるで動いてゐるモーターの上を歩いてゐるやうなすさまじい活火山で、登りながら、硫氣を噴出してゐる氣孔の上へ石を投げると、面白い程その石がミヂンに碎け散るのであつた。銀製の指輪が眞黒になつた。山肌は白と黄とエメラルドグリンの苔で、何だか菓子でつくつた山へ登るやうであつた。山裾には硫黄の工場があつた。明治十九年頃、安田一家がこゝに硫黄採取事業を經營して、標茶 (しべちゃ) の驛まで運搬したものだと云ふことだ。 
川湯温泉は、弟子屈 (でしかが) 温泉より一つ向ふの驛で、網走へむかつた方である。部落中にふくいくとしたいそつゝじの花が咲いて、淺い枯れたやうな河床から湯が吹きこぼれてゐた。弟子屈への車中で、この川湯の驛長さんに遇つたのを思ひだしたが、あいにく雨が降り始めた。こゝには土産物を賣る店と自動車屋が二三軒ある。 
黄いろいジヤケツを着た若い運轉手は「これは大雨になりさうですぜ」と、急いでハンドルをきり川湯から弟子屈への暗い森の中の沿道を、四十哩 (マイル) の速度を出して走らせた。 
昨日よりもひどい雷で、雷光が走るとすぐ頭の上にすさまじい雷鳴がした。烏が幾十羽となく吃驚したやうに森の中へ逃げこんでゐる。雨に滴を拂らつて逃げまどふ烏の姿を私は何時までもふりかへつて見た。 
「人の子にとつては、生れないこと、烈しい日の光を見ないことが、萬事にまさつてよいことである。しかしもし生れゝば、出來るだけ早くハイデースの門を過ぎ、厚い大地の衣の下に横はるに若くはない」 
どう云ふ聯想か、私は北の果の森林の中で、しかも耳の破れるやうな雷鳴の中に、ブチアーの中のデスペラアトな一章を思ひ出した。だが、ついに元氣だ。私は常に雜談をして自分を考へない。旅空で瞑想をしてみたところで、所詮は底ぬけに小心者で、粕ばかりで何もない空虚な躯をもてあましてゐるにしかすぎない。
林芙美子はどこか物悲しい自嘲的な影をひきずっている。しかし旅の空は決して曇りや雨ばかりではない。雨もあれば晴れもある、それが人生というものだ。作者はこのあと「生きてゐることは愉しいことだ」と書いている。

ウィルソンの暦と株式投資


Wednesday, March 07, 2012

Hoc unum scio: me nihil scire


Hoc unum scio: me nihil scire

word-for-word translation
this one I know: to me, nothing to know 

general translation
I know this one that I know nothing.

逐語的邦訳
これひとつ、私は知る、私には、知ることは何もない。
(私が知っているのは、私が何も知らないということだけだ。)

 ラテン語の箴言。ソクラテス (Socrates) がギリシャ語で言った言葉の翻訳。

 hoc は限定詞 hic 「この」の単数中性対格形、unum unusひとつ」の単数中性対格形、scio は動詞 scire の一人称単数現在形で「知る」こと。

Latin index

E pluribus unum (unus をラテン文)
Que sais-je?

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Tuesday, March 06, 2012

夢の中の夢


夢の中の夢、この言い回しは、ポー (Edgar Allan Poe) が一八二〇年代に書いた詩の中にある。
All that we see or seem
Is but a dream within a dream.
見ているもの、見ているようなものはみな
夢の中の夢にすぎない。
一見、断片だけとれば、荘子の夢の胡蝶を連想させるものだが、もちろん、ポーの二連の詩は荘周のものとは異なる。第一スタンザの最後の二行は肯定文だが、第二スタンザの最後の二行は神に対する問いかけになっている。
Is all we see and seem
But a dream within a dream?
見ているもの、見ているようなものはみな
夢の中の夢にすぎないものなのか。
この詩の全文は以下のとおりである。
A Dream within a Dream 
Take this kiss upon the brow!
And, in parting from you now,
Thus much let me avow:
You are not wrong who deem
That my days have been a dream;
Yet if hope has flown away
In a night, or in a day,
In a vision, or in none,
Is it therefore the less gone?
All that we see or seem
Is but a dream within a dream.
I stand amid the roar
Of a surf-tormented shore,
And I hold within my hand
Grains of the golden sand--
How few! yet how they creep 
Through my fingers to the deep,
While I weep--while I weep!
O God! can I not grasp
Them with a tighter clasp?
O God! can I not save
One from the pitiless wave?
Is all that we see or seem
But a dream within a dream?


Sunday, March 04, 2012

安吾の『アンゴウ』

口安吾の『アンゴウ』は大変おもしろい小説である。片仮名なのには意味がある。

時代は戦後間もない頃で、はじめのうちは神田の古本屋から入手した一冊の本が主人公のように思われるほど、その本の存在感が大きいのだが、それというのも、第一に、そこには暗号が記されている用箋が挟んであったからであり、第二に戦死した友人の蔵書であったらしいからである。その本が実在するものか、それともフィクションなのかはわからないが、太田亮という著者が書いた民俗学的歴史書『日本古代に於ける社会組織の研究』というものであった。この本の具体的な内容については語られない。しかし、この本を復員したあと神田で買った矢島という男の連想は、さもありがちなものであった。何も矢島ばかりが戦争で辛い思いをしたわけではないのだろうが、戦争のせいで寂しくなった家庭生活も重なって、妄想に取り憑かれていく。その結果矢島は、戦死した友人の神尾について思いを巡らすことが多くなる。小説の中ではまるで生きている登場人物のように頻繁に言及される。神尾の家に本のことを知らせようと訪問すると、そこには妄想を膨らませる矢島にとっての忘却されていた過去が蘇ってきて、表面上は冷静さを装い保つが、腹の中は嫉妬で煮えくりかえっていく。矢島による警察の捜査めいた追求は妻にも及ぶ。妻も戦争のせいで大変苦しんでいるのだが、その心情は描かれない。小説は三人称の文体で書かれているが、心理描写は矢島の分しかない。従って妻の心はその台詞から察するしかない。

矢島は古本屋にも足を運んで捜査する。人間の行動にとって何が原動力になるかはわかったものではない。やがて矢島は、戦火をくぐって生き残った数奇な運命の蔵書を更に十冊ほど見つけ出す。それらの本は矢島の妻に対する猜疑心をますます熱く燃え上がらせる。

そんなあるとき、現在の本の持ち主は、親切にも暗号の書いてある紙が何枚か本に挟まっていると連絡してよこす。矢島は暗号を解読できるチャンスと意気込んで、その人の家まで紙を取りに行く。

暗号の解読に成功すると、矢島の気分は一新される。それはこの上もない慰めとなるのである。

こういった小説が示しているのは、自分を苦しめる一番の要因は矮小な自分でしかないということであり、また、肉体が死してもなにがしかの生きた証がのこれば、それは決して魂までもが死んでいなくなったということではない、ということである。


アマゾンにある坂口安吾の本
坂口安吾全集
坂口安吾

Saturday, March 03, 2012

stalemate


stalemate

--- Word DNA --------------------------------------- 
ETYMOLOGY
[1765, chess term “position of a draw in which the king & any piece cannot be moved.” Also, verb “to subject to the stalemate.” Stale is perhaps related to steal
   The figurative sense “deadlock” came from the modern common chess rule, that when the king is stalemated, the game is drawn.]

FORMATION
stale (from Middle English “stalemate” in noun & verb) + mate (emphasizing unit; original Middle English sense was “checkmate” in noun & verb)

DECIPHERMENT IN JAPANESE
stale + mate
(行く手を) 奪われていること (= 遮られていること) + 強調要素 (メイトはもともとチェックメイト「王手、詰み」のこと)

外来語
ステールメート (ステイルメイト)
------------------------------------ 言葉の遺伝子 ---

 将棋で引き分けになるのは千日手。チェスでも同様に千日手 (repetition of moves) は引き分けである。将棋においては、厳密にいえば、同じ手順が三回繰り返された場合、指し直しになる。ただ、手順の中に王手をかける手があるときは、攻め方が手を変更しなければならない。

 チェスは、盤上のマス目が8x864マスで、駒の数が少なく、しかも持ち駒制ではないので、ゲームが進行するに従い盤上の駒の数が減っていき、ゲームが単純化していく。駒勘定によっては詰め  (checkmate) が不可能になる。その駒の組み合わせは以下のようなものである。
盤上に王が二人だけの状態 (only the two kings on the board)
王に対する王と僧侶一人 (king vs king with a bishop)
王に対する王と騎士一人 (king vs king with a knight)
王に対する王と騎士二人 (king vs king with two knights)
 五十連続手ルール (fifty consecutive rule) は、この間に互いに駒をとらず、歩兵 (pawn) も動かさないときに成立する引き分けである。

 プレイヤー同士が互いに互角と判断したときも、同意の上の引き分け (draw by agreement) が成立する。

 現代のチェスではもう一つ引き分けになるルールがある。それがステイルメイト。中英語期からある stale はそれだけでステイルメイトと同じ意味であったが、十八世紀になり、 mate 「チェックメイト、詰み、詰む」と合体して stalemate ができた。もともとは stale だけでもこと足りるのに mate が付け足されたのは、このゲームのルールや用語が統一されていなかったからだろう。近代以降の統一されたルールでは、キングの居場所はひとマスあり、詰みではないが、敵の駒の通り道であったり、自分の駒があったりして、どこにも行けない状態をステイルメイトという (ほかの駒が生き残っていたとしても、自分の駒のせいで動かせなかったり、ポーンが敵の駒にブロックされて進めなかったりすれば、ステイルメイトは成立する)。不利な方がわざとステイルメイトに持っていって、負けを引き分けにする場合もある。

 stalemate は動詞でも使われる。また、比喩的な意味では「 引き分け 、膠着状態」の意味になる。

The family returned to England in 1915. By this time the First World War had reached a bloody stalemate and Alexander Sirnis discarded Tolstoyism for Bolshevism. He died of tuberculosis in November 1918.
一家は一九一五年にイングランドに戻った。この頃第一次世界大戦は血みどろの膠着状態でアレグザンダー・サーニスはボルシェヴィズムに傾倒してトルストイ的平和主義を捨てていた。彼は一九一八年十一月に結核で亡くなった。
Hezbollah, the Shiite militant group, reached an agreement with the Lebanese government on a power-sharing formula, ending an 18-month political stalemate.
シーア派武装グループのヒズボラは、十八ヶ月におよぶ政治的膠着状態に終止符を打ち、権力分割の原則に関してレバノン政府と同意に達した。
 西洋人の感覚としてこの種の引き分けのパターンは好ましいものではない。
Fears grew that the battle would end in stalemate.
戦闘が泥沼化して終わるのではないかという懸念が高まっていた。

ボードゲーム (囲碁・将棋・チェスなど) すら出来た言葉
駄目

Friday, March 02, 2012

Friedly Foe


Sake, or alcoholic beverage, is considered not only the best medicine but also the worst poison in the Japanese wisdom (酒は百薬の長 / 酒は百毒の長). Henry Fielding (1707-1754), English writer, thought of wine in a slightly different way. Time changes wine after you drink it:
Wine is a turncoat; first a friend and then an enemy.
ワインは裏切り者。はじめは友だが、あとで敵となる。
(ヘンリー・フィールディング)


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ヘンリー・フィールディング









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