坂口安吾の『アンゴウ』は大変おもしろい小説である。片仮名なのには意味がある。
時代は戦後間もない頃で、はじめのうちは神田の古本屋から入手した一冊の本が主人公のように思われるほど、その本の存在感が大きいのだが、それというのも、第一に、そこには暗号が記されている用箋が挟んであったからであり、第二に戦死した友人の蔵書であったらしいからである。その本が実在するものか、それともフィクションなのかはわからないが、太田亮という著者が書いた民俗学的歴史書『日本古代に於ける社会組織の研究』というものであった。この本の具体的な内容については語られない。しかし、この本を復員したあと神田で買った矢島という男の連想は、さもありがちなものであった。何も矢島ばかりが戦争で辛い思いをしたわけではないのだろうが、戦争のせいで寂しくなった家庭生活も重なって、妄想に取り憑かれていく。その結果矢島は、戦死した友人の神尾について思いを巡らすことが多くなる。小説の中ではまるで生きている登場人物のように頻繁に言及される。神尾の家に本のことを知らせようと訪問すると、そこには妄想を膨らませる矢島にとっての忘却されていた過去が蘇ってきて、表面上は冷静さを装い保つが、腹の中は嫉妬で煮えくりかえっていく。矢島による警察の捜査めいた追求は妻にも及ぶ。妻も戦争のせいで大変苦しんでいるのだが、その心情は描かれない。小説は三人称の文体で書かれているが、心理描写は矢島の分しかない。従って妻の心はその台詞から察するしかない。
矢島は古本屋にも足を運んで捜査する。人間の行動にとって何が原動力になるかはわかったものではない。やがて矢島は、戦火をくぐって生き残った数奇な運命の蔵書を更に十冊ほど見つけ出す。それらの本は矢島の妻に対する猜疑心をますます熱く燃え上がらせる。
そんなあるとき、現在の本の持ち主は、親切にも暗号の書いてある紙が何枚か本に挟まっていると連絡してよこす。矢島は暗号を解読できるチャンスと意気込んで、その人の家まで紙を取りに行く。
暗号の解読に成功すると、矢島の気分は一新される。それはこの上もない慰めとなるのである。
こういった小説が示しているのは、自分を苦しめる一番の要因は矮小な自分でしかないということであり、また、肉体が死してもなにがしかの生きた証がのこれば、それは決して魂までもが死んでいなくなったということではない、ということである。
アマゾンにある坂口安吾の本
坂口安吾全集
坂口安吾
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