酒は百毒の長ともいうが、百薬の長ともいう。前者は酒を嫌う者、後者は酒を好む者が言い出したことなのだろう。酒は百毒の長といったのは日本人の兼好法師で、原典は『徒然草』にあり、酒は百薬の長の捩りだという。酒を悪く言うのには大きく二つの人種があるだろう。一つは酒のもたらす害悪を目の当たりにしたり、耳にしたりしているうちに嫌になる人、もう一つは自分が飲んでみても気分が悪くなるだけで何の効用も認められない人である。 吉田兼好がどちらに属する人かはもはや探りようもないが、下戸だった可能性はある。
酒は百薬の長と言ったのは中国人の王莽 (オウモウ) であるという。 上戸であったか下戸であったは定かではないが、王莽は漢の元帝の皇后の甥であり、まじめな儒学者で、権力欲が強く、権謀術数に長けていた。中国では暴君・王位簒奪者・偽天子が皇位にある時、天変地異が起こる、と信じられていたが、呉承恩 (『西遊記』の著者は一人ではないかもしれないから「呉承恩たち」というべきか?) はこの伝承を利用して『西遊記』で孫悟空が山に封じられるまでに暴れていた時期を王莽の時代と設定した。というのも王莽は、平帝が皇帝のとき、この十二歳の皇帝を毒殺して、二歳の新皇帝を擁立し、実権を掌握からである。当初王莽は仮皇帝を名乗っていたが、西暦八年、「天命には逆らえぬ」と称して正式に皇帝の座に就き、漢にかわる新を立てた。新は国の制度として五大都市の物価を統制し、酒・塩・鉄・銭の鋳造・名山と大沢を国家管理とした五均六幹を掲げた。原典の『漢書』には以下の文がある。
夫鹽食肴之將、酒百薬之長、嘉會之好。鐵田農之本、名山大澤、饒衍之臧。
(夫 (そ) れ鹽 (= 塩) は食肴の将、酒は百薬の長、嘉會 (= 嘉会) の好なり。鐵 (= 鉄) は田農の本 (もと)、名山大澤 (= 大沢 ダイタク) は饒衍 (ジョウエン) の臧 (ゾウ) なり)
「塩は料理の基本であり、酒は薬の中の薬として、めでたい宴会にはよろしいもの。鉄は田畑を耕す基本の器具になり、大山や大きな沢・水の流れるところは、獣や魚がたくさんいる蔵である。」
王莽の統制経済は、結局、身内贔屓の役人の管理の下、腐敗していき、多くの民の生活が困窮することとなり、 ついには反乱が起きて、西暦二十三年、王莽は惨殺されて新は滅んだのであった。
→上戸毒知らず、下戸薬知らず
→食べ物に関する言葉
→『平家物語』が引く王莽の名
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