提唱者がレンフリュー (Andrew Colin Renfrew, b.1937) であるため、レンフリュー仮説ともいうが、この説では印欧祖語の発祥はクルガン仮説よりも古い。まず、印欧祖語の発祥前にアナトリア半島に農耕が発生し、文化的な優位性によって、彼らはギリシャへと移住・拡散していった。そして、紀元前六五〇〇年から六〇〇〇年の頃、印欧祖語ができた。紀元前五五〇〇年の頃から、石器時代であったヨーロッパ各地に移住しはじめ、分派していった。そして、農耕と共に紀元前三五〇〇年頃にはスコットランド北端のオークニー諸島 (Orkney Islands) に到達した。農耕民は少数で暮らす狩猟採集民に対して優位であったため、ヨーロッパのほぼ全土を印欧諸語を話す人々が席巻した。植民のパターンは千差万別であったと考えられているが、土着民が吸収・同化されていった例もあるだろう。非印欧民族で言語的アイデンティティーを保ったのは、イタリアのエトルリア人、スペイン・フランス北部のバスク人、イベリア半島東部のイベリア人など、ごく少数であった。そういった諸民族は、農耕定住型印欧諸民族に対峙するだけの集団的経済力があったのだろう。単純に考えて、経済力のあるグループAと経済力のないグループBがあるとすれば、経済力のあるAが生き残り、ない方のBは滅びるか、従って仲間 (または小作・奴隷の類) になるか、その土地を出て行くかしなければならなくなる。
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