一般にクルガン
(Kurgan) 文化の担い手が印欧祖語
(Proto-Indo-European) を話していた民族であるとされている。
クルガンはトルコ語から借用されたロシア語で青銅器時代の「墳丘墓」を指す。原クルガン文化は紀元前六〇〇〇年頃におこったという。文字が発明される遥か以前のことなので、古代において
クルガンがなんと呼ばれていたのかはわからない。場所は黒海とカスピ海の北方の狭間のステップ地帯で、時代が進むにつれて、クルガン文化の範囲は拡大していった。
彼らは既に農耕・牧畜民族で、牛や馬や羊を飼い、穀物を栽培し、養蜂によって蜂蜜を採取し、羊の毛で織物を織って生活していた。車輪のついた乗り物を作り、馬に牽かせて移動や戦闘に用いていた。
宗教は多神教で、天の神が父、大地が女神で、その間にさまざまな神々が生まれたと信じられていた。こういったことは主に古代ギリシャの神話から再構成されたものであろう。
一方、創世論はゲルマン神話から再構成されたらしく、この世を巨人の亡骸と見なしていたのだという。即ち、頭蓋骨は天蓋となり、目は太陽、心は月、鼻は風、骨は岩、血は水、そして、巨人の体毛は草になったと信じられていた。
世界は終末を迎えると最終戦争に突入し、秩序が入れ替わって新たな世界が出現する。
言語は紀元前四二〇〇年頃に最初の分化が発生したと考えられている。アナトリア半島に移住した人々の言葉
(アナトリア語派
) ができたのである。以降、彼らの拡散が進むに従い、東はインド、トカラ
(場所は現在の新疆ウイグル自治区
)、西はイベリア半島
(最初にイベリア半島に移住したのはケルト語派で、イタリック語派は後から侵入した
) まで、言語は次々に分化していった。
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mead
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アナトリア仮説
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