Tuesday, January 03, 2012

臥薪嘗胆

臥薪嘗胆

中国の故事成語 (ピンイン: wòxīnchángdǎn)。薪に臥す者あり、胆を嘗める者あり。堪え忍ぶことをいい、日本では報復する目的で堪えているさまを喩えるが、中国では目的を達する為に堪えるさまをいう。このフレーズをつくったエピソードにより忠実なのはむしろ日本の使い方である。

呉と越は、呉越同舟というフレーズで馴染み深いように仲が悪かった。紀元前六世紀、中国は春秋戦国時代で、両国は交戦状態であった。

あるとき、呉の王の闔閭 (コウリョ) は越に攻め込んだが、迎えた越の王・勾践 (コウセン) の軍隊の前に敗れ去って戦死した。跡をついだ呉の太子・夫差 (フサ) は、父の仇をとる為、薪に臥して痛さに堪え、復讐を誓った。

やがて英気を養った夫差の軍勢が再び越に攻め込み、今度は勾践の軍が敗走することになった。会稽山で降伏した勾践は、越に帰ることが許された。勾践は吊した苦い胆を毎日嘗めて屈辱を堪え忍び復讐を誓った。

国力を整え、策謀を巡らして、勾践は報復の機会をうかがった。そして、服従するふりをして美女の一団を献上した。この計略は功を奏することになる。美女の中には中国史上の四大美女に数えられている西施が混じっていて、呉の夫差は西施に首ったけとなり、国を傾けてしまうからである。頃合いを見計らって越軍は呉に進軍し夫差を倒した。会稽山の雪辱を晴らしたこの出来事から、会稽の恥を雪ぐという慣用句ができた。

紀元前六世紀のこの一連の出来事は、紀元後十四世紀前半に成立した『十八史略』に描かれている。

春秋戦国時代にできた言葉
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