Easter Island
南太平洋の絶海の孤島イースター島。
チリに併合されたのは一八八八年。
スペイン語名は -- Isla de Pascua
先住民たちはこの島を
「世界の臍」
と呼んでいる。「復活祭」の名を持つのは、
オランダ人ロッヘフェーンに発見されたのが、
一七二二年四月の復活祭の時期だったからである。
一説には、キャプテン・クックの訪れが
復活祭の時期だったからだともいう。
島の歴史は不明な点が多く、
断言できることは何一つないように思える。
四世紀頃、マルケサス諸島から移住してきた人々がいて、
( the Marquesas Islands )
やがてモアイの建造がはじまるが、
そのデザインが大陸のインカ文明のものと類似すると
指摘する考古学者もいるし、ラープ博士の指摘によれば、
( Dr. Sergio Rapu )
石像の製造・設置のエネルギー源は
大陸原産のサツマイモである。
( called "sweet potato culture.")
西ポリネシア方面のバンジージャンプは
スポーツと化して、世界各地で知られるようになったが、
イースター島にも似たような儀式があった。
年に一度、冬の終わりに、
海を見下ろす崖に立って集まり、
男達が海に飛び込み、沖合の小島に
グンカン鳥の卵を取りに行く。
最初に卵を持って戻った人が、
翌年まで「王」となり、実権を握る。
この鳥人儀式の際に、
( bird man ceremony )
砂浜に降りて、ロンゴロンゴを読んで、
( rongorongo scripture )
何かを祈っていた。
「イースター島」は「エコの墓場」を指す比喩である。
( Easter Island: metaphor for ecological disaster. )
島の土地が痩せているのは、石像運搬の
便宜をはかるために、
ヤシ林を切り倒したからであり、十四世紀頃、
その痩せた土地をめぐる争いが発生した。
言い伝えによれば、
背の高い人々 対 背の低い人々
( Hanau Eepe vs Hanau Momoko )
の内戦が最も壮絶だったのだという。
この戦いを機にモアイ信仰は終わりを告げ、
石の頭を造る人々はいなくなった。
( 一説にはヨーロッパ人が到来するまで続いたともいう )
イースター島には食用肉になるような大型の哺乳類は
人間しかいないから、彼らは人肉を食べていたのだという。
( See Easter Island -
A Stone-Age Civilization of the Pacific,
by Alfred Metraux, 1957 )
人肉食には宗教的意味合いも薄ければ、
復讐を果たすためでもなく、
専ら嗜好を満足させるもので
犠牲となるのは子供や女性がほとんどだった。
最高に旨いのは手足の指だと
先住民は十九世紀の宣教師に語っている。
(但し、現地人の駄法螺である可能性もある)
Easter Island
[Probably from which Dutch Adminal
Jacob Roggeveen discovered in the
Easter season, 1722. The natives call it
Rapa Nui, or Te Pito O Te Henua
"navel of the world." ]
pn. solitary island in the South Pacific, west away
from Chile, annexed to it in 1888, known for gigantic
carved stone heads called "moai"; with an area of
about 46 sq miles (119 sq km.)
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